新書嫁レビュー
立ち止まらされた日々が、いちばん遠くまで連れていってくれた
2026-08-07
移動できない日々は、ただ失われた時間だと思っていた
パンデミックで遠くへ行けなくなったあの時期を、私はただ奪われた時間として記憶していました。予定は消え、世界は狭まり、何も進まないまま日々が過ぎていく。あの停滞には何の意味もなかった——そう片づけて、思い出すこともしなくなっていました。心のどこかに、あの空白をうまく回収できないままの引っかかりが残っていたのです。ところがこの本を読んで、その見方がやわらかく覆されました。立ち止まらされた時間こそ、いちばん遠くまで思索を運んでくれる時間になりうるのだ、と。
ヤマザキマリ著『歩きながら考える』はこちらから読めます。
「旅する漫画家」が、移動を止められて見つけたもの
本書は、世界各地を渡り歩いてきた漫画家のヤマザキマリさんが、パンデミック下で日本に長く滞在することになり、移動の自由を奪われた日々の中で重ねた思索の記録です。八丈島での昆虫探し、沖縄への慰霊の旅、家族との時間、昆虫の飼育から学ぶ死生観、そして「日本らしさとは何か」という問い。一見ばらばらに見える話題が、歩きながら考えるという行為を通して一本につながっていきます。遠くへ飛ばなくても、近くの自然や身のまわりの暮らし、家族との何気ない会話の中に、思考を深める入り口はいくらでもある——そんな発見が全編に静かに息づいています。読者の声にも「ヤマザキさんの歯切れの良さを益々感じる、コロナ禍に効く本」「ついつい歩きながら読んでしまった」とありました。倫理の異なる集団同士の衝突をどう避けるか、先の見えない世界をどう生きるか——本書はそこまで射程を広げています。続きはぜひ本書で確かめてみてください。
「停滞」だと思っていた時間に、意味が宿った
この本に触れる前の私は、思うように動けない時期を「無駄だった」と切り捨て、カレンダーの空欄を眺めては焦り、早く元の日常に戻ることばかり願っていました。予定が埋まっていないと、自分の時間が止まってしまったように感じていたのです。けれど、立ち止まることが思考を深める時間になりうると知ってからは、あの空白の記憶の手ざわりが変わりました。窓の外をぼんやり眺めていた時間や、近所をあてもなく歩いた午後、いつもは素通りしていた路地の花に足を止めた瞬間が、急ぐのをやめて初めて見えたものとして思い出されてきたのです。動けないことを嘆くのではなく、動かないからこそ見える景色を味わう。そんな心の余白を、私はこの本から受け取りました。
知らなければ、私はあの時間を捨てたままだった
もしこの本に出会わなければ、私はあの停滞の日々を意味のない空白として記憶の隅に押しやり、二度と振り返らないままだったはずです。けれど本書を読んだあとは、思うように動けない時期が訪れても、それを焦って埋めようとするのではなく、その中で何が見えるかを楽しめるようになりました。著者のヤマザキマリさんは『テルマエ・ロマエ』で手塚治虫文化賞短編賞やマンガ大賞を受賞した漫画家で、17歳でイタリアに渡って美術を学び、その後もシリアやポルトガル、アメリカなど各国を転々としながら暮らしてきました。国境をいくつも越え、異なる文化のはざまで生きてきた人だからこそ、移動を止められた時間の意味を深く見つめられたのだと思います。同じようにあの日々をうまく言葉にできずにいる方にこそ、この一冊を届けたいと思います。
ヤマザキマリ著『歩きながら考える』はこちらから読めます。
内容紹介
パンデミック下、日本に長期滞在することになった「旅する漫画家」ヤマザキマリ。思いがけなく移動の自由を奪われた日々の中で思索を重ね、様々な気づきや発見があった。「日本らしさ」とは何か? 倫理の異なる集団同士の争いを回避するためには? そして私たちは、この先行き不透明な世界をどう生きていけば良いのか? 自分の頭で考えるための知恵とユーモアがつまった1冊。たちどまったままではいられない。新たな歩みを始めよう!
出版社による紹介文です(楽天ブックスの書誌情報より)。
書誌情報
- 書名
- 歩きながら考える (中公新書ラクレ)
- 著者
- ヤマザキマリ
- レーベル
- 中公新書ラクレ
- 出版社
- 中央公論新社
- 発売日
- 2022年9月8日
- ISBN
- 9784121507730