新書嫁レビュー
「科学者は客観的であるべきで政治に関わるべきでない」という思い込みが、市民として生きる科学者の可能性を見えなくしていた
2026-05-12
「科学者は政治的立場を持たず、純粋に客観的なデータを提供するのが使命だ」とずっと思っていた
科学者が反原発運動に加わることや、専門知識を持ちながら特定の立場から社会問題に発言することは、科学の客観性を損なうという感覚がありました。「科学者は事実を語るべきで、価値判断は市民と政治家に任せるべきだ」という考え方が正しいと思っていました。専門家が一方的な主張をする「御用学者」への批判は知っていましたが、その反対の「市民科学者」という言葉の意味は理解していませんでした。
でも、原子力や環境問題の議論を見ていると、「専門家の言うこと」と「市民の感覚」の間に深い溝があることが気になっていました。その溝を埋める方法があるとしたら何なのか、問いを持ちながらも言語化できませんでした。
高木仁三郎著『市民科学者として生きる』を読んで、その問いへの答えがわかりました。
高木仁三郎著『市民科学者として生きる』はこちらから読めます。
専門性を「市民の立場」に根ざして使うことで、科学は初めて社会の問いに答えられる
著者が本書で問い続けるのは、「誰のための科学か」という根本的な問いです。原子力産業に従事し、東京大学の原子核研究所で研究した後、著者は原子力資料情報室を設立し、核技術の問題を市民に開かれた形で問い直す活動に転じます。「市民科学者」とは、専門性を捨てることではなく、その専門性を「どのような価値観に根ざして使うか」を自覚した科学者という意味です。
チェルノブイリ原発事故(1986年)の後、著者は日本の原子力政策が持つ構造的な問題を市民に伝え続けました。専門家の言葉を「正しいから信じよ」ではなく「なぜそうなのか」と問い直す姿勢——それが本書全体を貫くテーマです。1997年には「もうひとつのノーベル賞」と称されるライト・ライブリフッド賞を受賞した著者の活動は、科学と市民社会の関係を問い直すモデルとして世界的に評価されました。本書にはさらに、三里塚や宮沢賢治との出会い、反原発活動への道筋と希望についての詳細な自伝的記述が続きます。ぜひ本書でその全貌を確かめてみてください。
「専門家を信頼して任せる」という受け身の姿勢が変わった
読む前と後で、専門家の言葉への向き合い方が変わりました。以前は「専門家が言うのだから正しいはずだ」という受け身の信頼を持っていました。でも今は、「その専門家はどのような立場でその言葉を語っているのか」を問うようになりました。
具体的には、原発・食品安全・医薬品などのリスクについての専門家の発言を聞くとき、「その専門性は誰の利益のために使われているのか」という問いを持つようになりました。「客観的なデータ」も、何を測定し何を無視するかという選択の上に成り立っており、その選択に価値観が入り込んでいます。市民が専門知識の「外側」から問いを投げることが、科学を社会の問いに応えさせる力になるという感覚が生まれました。専門家と市民の関係は「教える・教わる」ではなく「問いを共有する」ものだという視点が、社会問題の見え方を変えました。
「もうひとつのノーベル賞」受賞者が、ガンを抱えながら書き残した市民科学の集大成
高木仁三郎(1938〜2000年)は東京大学理学部で核化学を修め、1975年に原子力資料情報室の設立に参加、1986年から1998年まで代表を務めた科学者です。1997年には社会に貢献した人物に贈られるライト・ライブリフッド賞を受賞し、2000年に前立腺がんで亡くなりました。本書は闘病中に書き上げた集大成であり、「科学者として誠実に生きるとはどういうことか」という問いへの、著者自身の答えが詰まっています。
この本を読まなければ、科学者は客観的であるべきだという固定観念のまま、専門性を市民の立場に根ざして使うことで科学が初めて社会の問いに答えられるという視点と向き合う機会を持てないままでいたでしょう。
高木仁三郎著『市民科学者として生きる』はこちらから読めます。
内容紹介
序章 激変のなかで
京都─長崎─ストックホルム/旅また旅の後で/高木学校を始める/ベッドの上で考える/核の世紀/ 「市民科学者」について
第1章 敗戦と空っ風
花火をみるように/一九四五年夏以前/一九四五年夏以後/復興の過程とともに/父の死/わがアカデメイア/空っ風と赤城山
第2章 科学を志す
文科系? 理科系?/〈学問〉という響き/勉強を始める/ 「受験優等生」になる/時代思想のなかで/数学への傾斜/東京に出る──幻滅のはじまり?/数学志望の挫折/化学を選ぶ
第3章 原子炉の傍で
東京と折合いがつく/化学のこと/六〇年安保闘争/核化学専攻/日本原子力事業に就職/夢と模索と/放射能の実験を始める/放射能との格闘/プルトニウム/会社で行き詰まる/原子力産業と日本型企業
第4章 海に、そして山に
原子力問題/原子核研究所へ/宇宙核化学/解放感に浸る/弱い放射能を測る/研究の論理/山へ、海へ/穴ぐらで考えたこと/都立大へ
第5章 三里塚と宮澤賢治
大学に驚く/三里塚との出会い/賢治との出会い/羅須地人協会/自前の科学/ハイデルベルク/批判の力/辞意を表明する
第6章 原子力資料情報室
修業期間?/プルトニウムと再会する/シーボーグへの違和感/プルトニウム毒性の考察/原子力資料情報室の創設/美浜一号炉燃料棒折損事故/安全神話の崩壊/NGO
第7章 専門家と市民のはざまで
時計とかな槌論争/反原発運動の盛り上がり/ 「反原発出前のお店」/ついにダウン/新たな気持で/六ケ所村核燃料サイクル施設批判/アムステルダム九〇年一一月/あかつき丸/産業側との討論/IMA研究
第8章 わが人生にとっての反原発
反原発への転機/個人と国家と/金と命との闘い/住民に学ぶ/無視と誘惑と/嫌がらせ/原発問題の中にすべてがある/誰かが助けてくれる
終章 希望をつなぐ
今を語る1 原子力資料情報室/今を語る2 高木学校/死の予感のもとで/理想について/危機感1/危機感2/あきらめから希望へ/いま、市民科学者として
あとがき
出版社による紹介文です(楽天ブックスの書誌情報より)。
書誌情報
- 書名
- 市民科学者として生きる (岩波新書 新赤版 631)
- 著者
- 高木 仁三郎
- レーベル
- 岩波新書 新赤版
- 出版社
- 岩波書店
- 発売日
- 1999年9月1日
- ISBN
- 4004306310