「科学者は政治的立場を持たず、純粋に客観的なデータを提供するのが使命だ」とずっと思っていた
科学者が反原発運動に加わることや、専門知識を持ちながら特定の立場から社会問題に発言することは、科学の客観性を損なうという感覚がありました。「科学者は事実を語るべきで、価値判断は市民と政治家に任せるべきだ」という考え方が正しいと思っていました。専門家が一方的な主張をする「御用学者」への批判は知っていましたが、その反対の「市民科学者」という言葉の意味は理解していませんでした。
でも、原子力や環境問題の議論を見ていると、「専門家の言うこと」と「市民の感覚」の間に深い溝があることが気になっていました。その溝を埋める方法があるとしたら何なのか、問いを持ちながらも言語化できませんでした。
高木仁三郎著『市民科学者として生きる』を読んで、その問いへの答えがわかりました。
専門性を「市民の立場」に根ざして使うことで、科学は初めて社会の問いに答えられる
著者が本書で問い続けるのは、「誰のための科学か」という根本的な問いです。原子力産業に従事し、東京大学の原子核研究所で研究した後、著者は原子力資料情報室を設立し、核技術の問題を市民に開かれた形で問い直す活動に転じます。「市民科学者」とは、専門性を捨てることではなく、その専門性を「どのような価値観に根ざして使うか」を自覚した科学者という意味です。
チェルノブイリ原発事故(1986年)の後、著者は日本の原子力政策が持つ構造的な問題を市民に伝え続けました。専門家の言葉を「正しいから信じよ」ではなく「なぜそうなのか」と問い直す姿勢——それが本書全体を貫くテーマです。1997年には「もうひとつのノーベル賞」と称されるライト・ライブリフッド賞を受賞した著者の活動は、科学と市民社会の関係を問い直すモデルとして世界的に評価されました。本書にはさらに、三里塚や宮沢賢治との出会い、反原発活動への道筋と希望についての詳細な自伝的記述が続きます。ぜひ本書でその全貌を確かめてみてください。
「専門家を信頼して任せる」という受け身の姿勢が変わった
読む前と後で、専門家の言葉への向き合い方が変わりました。以前は「専門家が言うのだから正しいはずだ」という受け身の信頼を持っていました。でも今は、「その専門家はどのような立場でその言葉を語っているのか」を問うようになりました。
具体的には、原発・食品安全・医薬品などのリスクについての専門家の発言を聞くとき、「その専門性は誰の利益のために使われているのか」という問いを持つようになりました。「客観的なデータ」も、何を測定し何を無視するかという選択の上に成り立っており、その選択に価値観が入り込んでいます。市民が専門知識の「外側」から問いを投げることが、科学を社会の問いに応えさせる力になるという感覚が生まれました。専門家と市民の関係は「教える・教わる」ではなく「問いを共有する」ものだという視点が、社会問題の見え方を変えました。
「もうひとつのノーベル賞」受賞者が、ガンを抱えながら書き残した市民科学の集大成
高木仁三郎(1938〜2000年)は東京大学理学部で核化学を修め、1975年に原子力資料情報室の設立に参加、1986年から1998年まで代表を務めた科学者です。1997年には社会に貢献した人物に贈られるライト・ライブリフッド賞を受賞し、2000年に前立腺がんで亡くなりました。本書は闘病中に書き上げた集大成であり、「科学者として誠実に生きるとはどういうことか」という問いへの、著者自身の答えが詰まっています。
この本を読まなければ、科学者は客観的であるべきだという固定観念のまま、専門性を市民の立場に根ざして使うことで科学が初めて社会の問いに答えられるという視点と向き合う機会を持てないままでいたでしょう。