新書嫁レビュー
藤原氏は陰謀で権力を握った——その通説が崩れた読書体験
2026-05-29
藤原摂関家は策略でのし上がったと思い込んでいた
摂関政治と聞くと、藤原氏が娘を次々に天皇に嫁がせ、ライバルを陰謀で追い落とし、計算ずくで権力の頂点へ駆け上がった一族、という像が浮かんでいました。教科書で覚えた「他氏排斥」という言葉の印象もあって、冷徹な権力闘争の勝者として彼らを眺めていたのです。けれども、その理解のままだと、なぜ数ある貴族の中で「北家」だけが突出できたのかが、いつまでもしっくり来ませんでした。同じように娘を入内させた家は他にもいたはずなのに。瀧浪貞子さんの『藤原摂関家の誕生』を読んで、その思い込みが根底から揺らぎました。
瀧浪貞子著『藤原摂関家の誕生──皇位継承と貴族社会』はこちらから読めます。
鍵を握っていたのは、一人の天皇の「遺言」だった
本書がたどるのは、桓武天皇の末年から清和天皇の頃までの政治史です。著者が描き出すのは、藤原北家の台頭が周到な陰謀の産物というより、皇位継承をめぐる不安定な時代のうねりと、そこに居合わせた者たちの嗅覚が重なって生まれた過程だという視点です。死の床に就いた桓武天皇は、安定した皇位継承を願って遺言を残します。その願いがその後の政局を大きく動かし、伊予親王事件のような血なまぐさい出来事が相次ぐなかで、藤原内麻呂や冬嗣といった人物が天皇家との距離を慎重に詰めていく。同じ北家に生まれながら、兄の真夏は政争のなかで脇へ追いやられ、弟の冬嗣が表舞台へと上がっていきます。その明暗を分けたものが何だったのか、本書は史料に即して静かに描き出します。なぜ北家だけが他の系統を抜いて覇権を確立できたのかが、運と判断の積み重ねとして見えてくるのです。本書では、その先の良房による摂政の成立へと、話がさらに展開していきます。気になる方は、ぜひ本書で確かめてみてください。
歴史が「人の選択の連なり」に見えてきた
読み終えてから、平安時代を眺める目が変わりました。以前は「藤原氏が権力を独占した」という結果だけを、できあがった事実として受け取っていました。今は同じ場面を見ても、その裏で一人ひとりが置かれた状況の中で何を選び、どこで運をたぐり寄せたのかを想像するようになりました。たとえば兄弟が同じ家に生まれながら、一方は表舞台へ、一方は傍流へと分かれていく。そこに偶然と判断が複雑に絡んでいたと知ると、教科書の一行が急に立体的になります。京都を歩いていて摂関期の寺社の前を通るときも、以前なら通り過ぎていたものが、その背後にあった人々のせめぎ合いを思い浮かべるようになりました。歴史を完成した結論として暗記していたころと、進行中の選択の連なりとして読めるようになった今とでは、同じ年表の手応えがまるで違うのです。
知らないままでは、歴史を結論でしか見られなかった
この本を読まなければ、私は摂関家を陰謀の勝者という一枚絵で理解したまま、その内側にあった葛藤を見落としていたはずです。著者の瀧浪貞子さんは京都女子大学名誉教授で、文学博士。飛鳥・奈良・平安期を貫く日本古代史を専門に、『桓武天皇』『持統天皇』『光明皇后』など、宮廷社会と皇位継承を一次史料から読み解いてきた研究者です。長年この時代の人間関係を見つめてきた著者だからこそ描ける、奥行きのある成り立ちの物語がここにあります。摂関政治を結果だけで覚えてきた方にこそ、ひらいてほしい一冊です。
瀧浪貞子著『藤原摂関家の誕生──皇位継承と貴族社会』はこちらから読めます。
内容紹介
死の床に就いた桓武天皇。安定した皇位継承を願う彼の“遺言”は、歴史を大きく動かした。ポスト桓武の時代、血なまぐさい事件が起こるなか、藤原北家は幸運を引きつけ、類い稀な才覚と政治的嗅覚を持つ者たちが、天皇家との関係を深めてゆく。藤原道長「望月の歌」をさかのぼること一五〇年、藤原摂関家はこうして生まれた。
序 章 伊予親王事件ーー摂関家への扉
第一章 桓武天皇の“遺言”--皇権の安定化
第二章 平城天皇の迷いーー嫡系継承の放棄
第三章 藤原内麻呂の手腕と苦悩ーー覇権への道
第四章 真夏と冬嗣ーー兄弟の明暗
第五章 藤原北家の行く末ーー内麻呂から冬嗣へ
終 章 藤原摂関家の誕生ーー南円堂信仰
あとがき
引用・参考文献
出版社による紹介文です(楽天ブックスの書誌情報より)。
書誌情報
- 書名
- 藤原摂関家の誕生──皇位継承と貴族社会 (岩波新書 新赤版 2081)
- 著者
- 瀧浪 貞子
- レーベル
- 岩波新書 新赤版
- 出版社
- 岩波書店
- 発売日
- 2025年9月22日
- ISBN
- 400432081X