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盛り場の民俗史 (岩波新書 新赤版 300)

神崎 宣武

岩波新書 新赤版 / 岩波書店

1993年9月1日発売

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新書嫁レビュー

「盛り場はいかがわしい場所だ」という見方が、日本文化の核心を見えなくしていた

2026-05-08

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「歓楽街や盛り場は文化の外にある、まともでない空間だ」とずっと思っていた

飲み屋街や歓楽街、見世物小屋や大道芸の場——そういう場所は、まともな文化とは別の、「いかがわしい」世界だと思っていました。歴史や文化を学ぶとき、盛り場はどこか括弧に入れられて、正史や公式の文化の外側に置かれていました。だから盛り場の話が出ると、自分には直接関係のない話として聞き流していました。

でも、江戸から東京へと受け継がれた「賑わいの場所」を歩くとき、そこには言葉にならない何かがあると感じていました。なぜ人はここに引き寄せられるのか。その賑わいの正体が何なのか、うまく言えないままでいました。

神崎宣武著『盛り場の民俗史』を読んで、その「何か」の正体に言葉が与えられました。

神崎宣武著『盛り場の民俗史』はこちらから読めます。

盛り場こそが、庶民の欲望と生活感が最も凝縮した文化の核心だった

著者が本書で示す視点は鮮やかです。公式の記録に残りにくい「盛り場」にあえてスポットをあて、そこを「人間が最も人間くさい場所」として捉え直します。香具師のタンカバイ(口上売り)が縦横無尽に観衆を引き込む光景、見世物小屋の興奮、遊里の賑わい——これらは日常の倫理から少し外れた「非日常」の空間として機能していました。

著者が主な舞台とする上野広小路は、江戸時代から現代まで形を変えながら続いている希有な盛り場です。露店から常設店舗へ、大道芸から映画館へと変化しながらも、「そこに行けば日常から外れた何かがある」という磁場が続いてきた。その変遷を追うことで、日本人がどんな欲望を「日常の外」に求めてきたかが見えてきます。本書にはさらに、花街(花柳界)の成立と盛り場の立地の関係を論じる章が続きます。ぜひ本書でその全貌を確かめてみてください。

街を歩くときの「見え方」が変わった

読む前と後で、繁華街や歓楽街を歩くときの感覚が変わりました。以前はそこを単なる「商業地域」「飲み屋街」として通り過ぎていました。でも今は、その場所が長い時間をかけて形成してきた磁場の上に立っているという感覚があります。

具体的には、雑然としたネオン街を見るとき、その雑然さが「整えられなかった結果」ではなく、「人の欲望が凝縮した姿」として見えるようになりました。民俗学とは、正史に残らない人々の営みに眼差しを向ける学問だということを、この本を通じて実感しました。「まともでない場所」にこそ、日常を生きる人間の本音が宿っている。その見方を得てから、街歩きの解像度が上がりました。区画整理で消えていった古い盛り場の名残を探しながら歩くようになり、見過ごしていた路地や看板が、長い歴史の蓄積として見えてきました。

「消えゆく日本」を記録し続けてきた民俗学者が、都市文化の深層に光を当てた

神崎宣武(1944-)は民俗学者として長年にわたってフィールドワークを続け、「消えゆくニッポン」の記録に取り組んできた研究者です。伝統的な民俗学が見落としてきた「都市の盛り場」という空間を正面から論じた本書は、民俗学に新しい視点を加えた先駆的な著作として評価されています。庶民の欲望と生活の記録こそが文化史の本体だという著者の信念が、ページの隅々に滲んでいます。

この本を読まなければ、盛り場を「まともでない場所」として遠ざけ続け、その奥に蓄積された日本文化の生々しい層を見落としていたでしょう。

神崎宣武著『盛り場の民俗史』はこちらから読めます。

内容紹介

香具師の口上が盛り立てる祭りの賑わい、欲望うごめく夜の歓楽街。そこに通いつめる人がいて、そこを仕事場とする人がいる。伝統的な盛り場が消えつつある今、長年の民俗調査にもとづき、その空間を鮮やかに分析し、歴史的な歩みを明らかにする。江戸から現在まで続く稀有な盛り場、上野広小路を主舞台に、哀歓こめて描く聞き語りの世界。

出版社による紹介文です(楽天ブックスの書誌情報より)。

書誌情報

書名
盛り場の民俗史 (岩波新書 新赤版 300)
著者
神崎 宣武
レーベル
岩波新書 新赤版
出版社
岩波書店
発売日
1993年9月1日
ISBN
4004303001