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万葉秀歌 (上巻) (岩波新書)

斎藤茂吉

岩波新書 / 岩波書店

1938年11月20日発売

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新書嫁レビュー

万葉集は「難しい古典」ではなかった。1300年前の感情が、今の自分のものと区別できない

2026-04-20

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万葉集は「難しい古典」だと思い込んでいた

学校で万葉集を習ったとき、それは試験のために覚えるものでした。「東の野に炎の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ」と暗記し、意味を訳し、作者名を頭に入れる。そのまま大人になり、万葉集とは専門家か好事家が読むもので、自分には縁遠いという感覚が続いていました。でも、どこかしっくりこない感じもありました。あれほど長く読み継がれてきた歌集が、ただ難しいだけのものであるはずがない。その疑問に正面から答えてくれたのが、この一冊でした。

斎藤茂吉著『万葉秀歌(上)』はこちらから読めます。

1300年前の感情が、今の自分のものと区別できない

万葉集に収められた歌の多くは、恋の痛み、愛する人の死、旅の孤独、故郷への思慕を詠んでいます。斎藤茂吉が選んだ約四百首の秀歌を読んでいると、ある瞬間に気づきます。この人は今の自分と同じことを感じていた、と。

柿本人麻呂が病で逝った妻を悼んで詠んだ歌「去年見てし秋の月夜は渡れども相見し妹はいやとほそきぬ」——去年一緒に見た秋の月はまた巡ってきたのに、あなたはどんどん遠くなっていく、という意味です。1300年前の言葉なのに、喪失の重さが直接伝わってきます。斎藤茂吉の解説は、この感情の芯を的確に言い当てながら、歌の技法や時代背景を平易な言葉で解き明かしています。

上巻ではこうした心を揺さぶる歌が厳選されています。さらに下巻では別の歌人たちの世界が広がり、万葉集全体の奥行きが立体的に見えてきます。その世界は、ぜひ本書で体験してみてください。

「古典は勉強するもの」という思い込みが消えた

この本を読んでから、電車に乗るたびに万葉集の歌が頭に浮かぶようになりました。帰省するとき、遠くに赴任するとき、誰かと別れるとき——そういう場面に来ると、1300年前に誰かが同じ感情を詠んだ歌が自然と出てきます。自分の言葉が、1300年という時間の蓄積と地続きであるという感覚は、何か大きなものの一部である、という静かな充足感をもたらしてくれます。

古典が「難しくて距離がある」のではなく、「近すぎて見えていなかった」のだと気づいた瞬間、日本語で書かれたあらゆるものへの向き合い方が変わりました。日常の言葉が、ずっと長い川の一部として流れているような感覚——これは、この本を読む前には絶対に持てなかったものです。一冊の本が、それまで見えていなかった川の深さを教えてくれるとは、思っていませんでした。

精神科医にして歌人が選んだ「精髄」

斎藤茂吉は東京帝国大学医科大学を卒業し、ウィーン大学・ミュンヘン国立精神病学研究所で研鑽を積んだ精神科医でありながら、同時代を代表する歌人でした。アララギ派の中心人物として正岡子規の写生論を受け継ぎながら独自の境地を開き、柿本人麻呂の研究では帝国学士院賞を受賞しています。人間の感情を医師として分析し、歌人として表現し、研究者として追い続けた人物が選んだ秀歌には、単なる入門書を超えた重みがあります。

この本を読まなければ、万葉集を一生「試験のための古典」として終わらせていたはずです。1300年前の言葉が今の自分の感情と重なる体験は、知識を得るというより、自分の輪郭が少し広がるような感覚でした。古典は過去のものではなく、今もそこにあって、手を伸ばせば届く——その感覚を、斎藤茂吉だけが連れてきてくれました。

斎藤茂吉著『万葉秀歌(上)』、購入はこちらから。

内容紹介

「万葉集入門」として本書の右に出るものはいまだない。万葉の精神をふまえて自己の歌風を確立した一代の歌人たる著者が、長年の傾倒による蘊蓄を傾けて約四百の秀歌を選び、簡潔にしてゆきとどいた解説を付して鑑賞の手引きを編んだ。雄渾おおらかな古代の日本人の心にふれることにより、われわれは失われたものを取り戻す。

出版社による紹介文です(楽天ブックスの書誌情報より)。

書誌情報

書名
万葉秀歌 (上巻) (岩波新書)
著者
斎藤茂吉
レーベル
岩波新書
出版社
岩波書店
発売日
1938年11月20日
ISBN
4004000025