新書嫁レビュー
冒険家の旅には、もう一つの顔があった——バードと明治日本の秘密
2026-05-25
ひとりの女性が、純粋な好奇心だけで旅をしたと信じていた
明治時代、イギリスの女性旅行家イザベラ・バードが危険を顧みず日本の奥地を旅した話は知っていました。馬に乗り、通訳一人を連れて未開の東北・北海道を踏破した女性。「どこへでも行く自由人」「好奇心の化身」といったイメージが染みついていて、その旅は純粋な探求心から生まれたものだとずっと思っていました。でも、そのイメージのままでいると、彼女の旅行記を読んでも何か奥行きが見えてこないような気がしていました。なぜ彼女がここまで詳細に明治政府の実情を記録したのか、なぜ政府要人と親しくしていたのか、どこかしっくりこなかったのです。金坂清則著『イザベラ・バードと日本の旅』を読んで、その違和感が一気に解消されました。
金坂清則著『イザベラ・バードと日本の旅』はこちらから読めます。
バードの旅を支えていた「もう一つの文脈」
この本が明かす核心は、バードの日本旅行が「孤独な女性冒険家の個人的な旅」では決してなかった、という事実です。1878年(明治11年)の旅を全面的に支援したのは、当時の日本駐在英国公使ハリー・パークス卿でした。パークス卿は幕末から明治にかけて日本での英国の影響力を最大化した外交の実力者で、バードは彼の紹介状を携えながら各地の官吏に会い、情報を集めていました。さらに言語学者のアーネスト・サトウや、ヘボン式ローマ字で知られるジェームズ・C・ヘボンとも緊密な関係にあったことが、本書では一次資料にもとづいて丁寧に示されています。
「知っている世界」を旅した純粋な旅人ではなく、大英帝国の知識ネットワークの一部として、明治初期の日本を観察・記録する役割を担っていた——そう読むと、彼女の文章の鋭さが別の意味を持ち始めます。農村の貧困、アイヌ民族の暮らし、地方行政の実態。これほど克明に記録したのは、彼女の観察眼だけでなく、その背後にある「なぜ記録するのか」という目的意識があったからではないか、と本書は読者に問いかけます。本書にはさらに、バードの旅行記そのものの文体分析や、彼女が日本を旅した時代背景についても詳しく書かれています。ぜひ本書で確かめてみてください。
「旅人」ではなく「観察者」として読み直すと、世界が変わった
この本を読む前、私はバードの旅行記を「異国に興奮した外国人の感想文」として読んでいました。でも今は違います。帝国主義の時代に、情報収集と外交の文脈の中で書かれた「報告書」でもあると知ってから、彼女の一文一文が重みを持つようになりました。「日本の農民は世界で最も貧しく、かつ世界で最も幸福そうに見える」というあの有名な観察も、単なる感想ではなく、当時の大英帝国が「植民地にすべき対象」として日本をどう評価していたかという文脈で読める。そう気づいてから、明治日本という時代の見え方がまるで変わりました。日本を旅した外国人の記録を読むとき、私はもう「純粋な好奇心の旅人」というフィルターをかけなくなりました。
誤解したまま読み続けるのは、もったいない
バードの旅を「個人的な冒険」としてだけ読んでいたとしたら、その旅の真の意味を半分以上見逃していたことになります。本書の著者・金坂清則は、京都大学名誉教授として長年にわたって人文地理学とイザベラ・バード研究を専門としてきた第一人者です。バードの著作を日本語に完訳し、2013年度の日本翻訳出版文化賞を受賞した研究者だからこそ書ける、一次資料にもとづく再評価の書です。「旅行記を読んだことがある」という人ほど、この本で視点を刷新する体験が大きいはずです。
金坂清則著『イザベラ・バードと日本の旅』はこちらから読めます。
内容紹介
イザベラ・ルーシー・バード(一八三一〜一九〇四)は、世界を旅し、その魅力的な紀行文でヴィクトリア時代を代表する旅行家となった。とりわけ『日本奥地紀行』(『日本の未踏の地』)はよく知られている。当時は外国人の旅行に厳しい制限があったにもかかわらず、長期にわたる日本各地への旅ができたのはなぜだろうか?また、この旅を計画したのは本人なのだろうか?国際的に高い評価を得ているバード研究者が、その生涯と日本の旅の真実を描き出す。
出版社による紹介文です(楽天ブックスの書誌情報より)。
書誌情報
- 書名
- 新書754イザベラ・バードと日本の旅 (平凡社新書 754)
- 著者
- 金坂清則
- レーベル
- 平凡社新書
- 出版社
- 平凡社
- 発売日
- 2014年10月15日
- ISBN
- 458285754X