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手の倫理 (講談社選書メチエ 735)

伊藤 亜紗

講談社選書メチエ / 講談社

2020年10月9日発売

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新書嫁レビュー

「さわる」と「ふれる」は、まったく別のことだった

2026-05-31

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触れることなんて、ただの接触だと思っていた

人の体に手が触れる――それを私は長いあいだ、ただの物理的な接触だと思っていました。情報をやりとりするわけでもなく、言葉のように意味を運ぶわけでもない、なんとなく曖昧な感覚。だからこそ、誰かに肩を借りたとき、子どもの手を引いたとき、そこに確かに何かが流れている気がするのに、それをうまく言葉にできない自分がいました。その言語化できないもどかしさは、思い返すといつも心のどこかに残っていたのです。伊藤亜紗さんの『手の倫理』は、その名づけられないままだった感覚に、はっきりと輪郭を与えてくれる一冊でした。

伊藤亜紗著『手の倫理』はこちらから読めます。

同じ手の動きでも、「さわる」と「ふれる」は別物だった

本書が示すのは、手で接触する行為には「さわる」と「ふれる」という二つのまったく違うあり方があるという視点です。一方的に対象を確かめるように手を当てるのが「さわる」。相手の反応をうかがい、共鳴し、信頼を生み出していくのが「ふれる」。同じ手の動きでも、そこに流れているものはまるで違うのだと著者は描き出します。たとえば視覚障害のある人が誰かに手を引かれて歩くとき、その手から伝わるのは方向の情報だけではありません。相手がどれだけ自分を気にかけているか、その気配までもが手を通じて行き交っている。本書で紹介される場面のなかに、視覚に障害のある人がスポーツの試合を観戦するために、支援する人と一本の手ぬぐいの端をそれぞれ持ち、その動きと感触で競技の様子を伝え合うという話があります。手の動きと触れる感覚だけで、目に見えない試合の臨場感が伝わってくる。手というものが、これほどまでに繊細な情報を運べるのかと驚かされます。本書ではさらに、介助や看取り、子育てといった場面で、触れることがどのように倫理と結びつくのかが、終章の「不埒な手」というテーマも含めて深く掘り下げられています。情報を伝える「コミュニケーション」とは別に、お互いの感覚が響き合う「共鳴」という関わり方があることも、読み進めるなかで少しずつ見えてきます。

手のなかにあった世界が、急に色づいて見えた

この本を読む前、私にとって誰かに触れることは、ほとんど意識にのぼらない無自覚な動作でした。けれど読んだあとは、まるで違って見えるようになりました。電車でとっさに人を支えたとき、自分は相手を「さわって」いるのか「ふれて」いるのか、ふと立ち止まって考えるようになったのです。家族の背中に手を置くとき、ただ触れているのではなく、相手の今日の調子をその手で受け取ろうとしている自分に気づきました。これまで無意識に流していた小さな接触の一つひとつに、意味が宿って見える。握手やハグといった日常の何気ない動作も、ただの習慣ではなく、相手との関係をつくり直す小さな機会なのだと思えるようになりました。世界が少しだけ繊細に、色づいて感じられるようになりました。

このまま気づかずにいたら、もったいなかった

この本を読まなければ、私は手のなかにある豊かな世界に気づかないまま過ごしていたと思います。著者の伊藤亜紗さんは東京工業大学の教授を務める美学者で、目の見えない人や、どもる人など、さまざまな身体のあり方を当事者へのインタビューを通じて研究してきた人です。だからこそ、触れることをこれほど解像度高く、しかも温かく語れるのでしょう。誰かに触れる機会のある人にも、自分の手の動きを意識したことのなかった人にも、その何気ない接触の意味が変わって見えるはずです。

伊藤亜紗著『手の倫理』はこちらから読めます。

内容紹介

人が人にさわる/ふれるとき、そこにはどんな交流が生まれるのか。
介助、子育て、教育、性愛、看取りなど、さまざまな関わりの場面で、コミュニケーションは単なる情報伝達の領域を超えて相互的に豊かに深まる。ときに侵襲的、一方向的な「さわる」から、意志や衝動の確認、共鳴・信頼を生み出す沃野の通路となる「ふれる」へ。相手を知るために伸ばされる手は、表面から内部へと浸透しつつ、相手との境界、自分の体の輪郭を曖昧にし、新たな関係を呼び覚ます。
目ではなく触覚が生み出す、人間同士の関係の創造的可能性を探る。

[本書の内容]

第1章 倫 理
ほんとうの体育  フレーベルの恩物  まなざしの倫理/手の倫理  倫理と道徳  「倫理一般」は存在しない  不確かな道を創造的に進む  蟻のように  「多様性」という言葉への違和感  一人の中にある無限

第2章 触 覚
低級感覚としての触覚ーー「距離ゼロ」と「持続性」  モリヌー問題ーー「対称性」  触覚論が人の体にふれるには  触感はさわり方しだい  ヘルダーの触覚論  内部的にはいりこむ感覚  「じゃれあい」か「力くらべ」か  「色を見る」と「人にふれる」  ラグビーのスクラム  距離があるほど入っていける

第3章 信 頼
GPSに見守られた学生  安心と信頼は違う  結果的には信頼の方が合理的  リスクが人を生き生きさせる  ハンバーグが餃子に  「ふれられる」とは主導権を手渡すこと  だまされる覚悟で委ねてる  無責任な優しさで生きている  「もしも」が消えるまでの三年間

第4章 コミュニケーション
記号的メディア  物理的メディア  使える方法はいろいろ使う  伝達モード  生成モード  「さわる」は伝達、「ふれる」は生成  ほどきつつ拾い合う関係  相手の体に入り込み合う  死にゆく体を「さわる」  「できなさ」からの再編集  「介助」アレンジメントーー 複合体

第5章 共 鳴
ロープを介したシンクロ  足がすくむ  あそびから生まれる「共鳴」  ロープが神経線維  「伴走してあげる/伴走してもらう」じゃない関係  「伝える」ではなく「伝わっていく」  隙のある体  見えるように曲がっていく  あえてハンドルを切る  生成モードの究極形態  あずけると入ってくる

第6章 不埒な手
介助とセックス  別のリアリティへの扉  「うっとり」のタイムスリップ  手拭いで柔道を翻訳する  勝ちたくなっちゃう  目で見ないスポーツ  不道徳だからこそ倫理的でありうる

出版社による紹介文です(楽天ブックスの書誌情報より)。

書誌情報

書名
手の倫理 (講談社選書メチエ 735)
著者
伊藤 亜紗
レーベル
講談社選書メチエ
出版社
講談社
発売日
2020年10月9日
ISBN
4065213533