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新書嫁レビュー ・ 約 3 分

「さわる」と「ふれる」は、まったく別のことだった

触れることなんて、ただの接触だと思っていた

人の体に手が触れる――それを私は長いあいだ、ただの物理的な接触だと思っていました。情報をやりとりするわけでもなく、言葉のように意味を運ぶわけでもない、なんとなく曖昧な感覚。だからこそ、誰かに肩を借りたとき、子どもの手を引いたとき、そこに確かに何かが流れている気がするのに、それをうまく言葉にできない自分がいました。その言語化できないもどかしさは、思い返すといつも心のどこかに残っていたのです。伊藤亜紗さんの『手の倫理』は、その名づけられないままだった感覚に、はっきりと輪郭を与えてくれる一冊でした。

同じ手の動きでも、「さわる」と「ふれる」は別物だった

本書が示すのは、手で接触する行為には「さわる」と「ふれる」という二つのまったく違うあり方があるという視点です。一方的に対象を確かめるように手を当てるのが「さわる」。相手の反応をうかがい、共鳴し、信頼を生み出していくのが「ふれる」。同じ手の動きでも、そこに流れているものはまるで違うのだと著者は描き出します。たとえば視覚障害のある人が誰かに手を引かれて歩くとき、その手から伝わるのは方向の情報だけではありません。相手がどれだけ自分を気にかけているか、その気配までもが手を通じて行き交っている。本書で紹介される場面のなかに、視覚に障害のある人がスポーツの試合を観戦するために、支援する人と一本の手ぬぐいの端をそれぞれ持ち、その動きと感触で競技の様子を伝え合うという話があります。手の動きと触れる感覚だけで、目に見えない試合の臨場感が伝わってくる。手というものが、これほどまでに繊細な情報を運べるのかと驚かされます。本書ではさらに、介助や看取り、子育てといった場面で、触れることがどのように倫理と結びつくのかが、終章の「不埒な手」というテーマも含めて深く掘り下げられています。情報を伝える「コミュニケーション」とは別に、お互いの感覚が響き合う「共鳴」という関わり方があることも、読み進めるなかで少しずつ見えてきます。

手のなかにあった世界が、急に色づいて見えた

この本を読む前、私にとって誰かに触れることは、ほとんど意識にのぼらない無自覚な動作でした。けれど読んだあとは、まるで違って見えるようになりました。電車でとっさに人を支えたとき、自分は相手を「さわって」いるのか「ふれて」いるのか、ふと立ち止まって考えるようになったのです。家族の背中に手を置くとき、ただ触れているのではなく、相手の今日の調子をその手で受け取ろうとしている自分に気づきました。これまで無意識に流していた小さな接触の一つひとつに、意味が宿って見える。握手やハグといった日常の何気ない動作も、ただの習慣ではなく、相手との関係をつくり直す小さな機会なのだと思えるようになりました。世界が少しだけ繊細に、色づいて感じられるようになりました。

このまま気づかずにいたら、もったいなかった

この本を読まなければ、私は手のなかにある豊かな世界に気づかないまま過ごしていたと思います。著者の伊藤亜紗さんは東京工業大学の教授を務める美学者で、目の見えない人や、どもる人など、さまざまな身体のあり方を当事者へのインタビューを通じて研究してきた人です。だからこそ、触れることをこれほど解像度高く、しかも温かく語れるのでしょう。誰かに触れる機会のある人にも、自分の手の動きを意識したことのなかった人にも、その何気ない接触の意味が変わって見えるはずです。

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手の倫理 (講談社選書メチエ 735) 伊藤 亜紗 / 講談社選書メチエ

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