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新書嫁レビュー ・ 約 3 分

玉音放送のあの日、太宰治はただ「ばかばかしい」とつぶやいた

終戦の日、国民は皆そろって泣き崩れた、と思い込んでいた

昭和二十年八月十五日。教科書や記録映像で繰り返し見てきた光景のせいか、その日の日本人は誰もが頭を垂れ、涙にくれていた——そんなひとつのイメージで、終戦の日を理解した気になっていました。けれど、本当にそうだったのか。何百万もの人がいて、感じ方がたった一色だったはずがない。そう思いながらも、具体的な誰かの姿として思い描くことはできず、ぼんやりとした全体像のまま受け止めていました。その平板な記憶を、鮮やかに塗り替えてくれたのが、中川右介著『昭和20年8月15日』です。

一人ひとり、まるで違う「八月十五日」を生きていた

本書は、作家や映画監督、俳優、音楽家、歌舞伎役者、漫画家まで、百三十五人もの文化人が、あの日どこで何をしていたかを丹念に再現していきます。並んだ反応は驚くほどばらばらです。語りの名手として知られた徳川夢声は、初めて聞く天皇の肉声に身体が震えるほどの感動を覚えたと記します。一方で作家の太宰治は、「ばかばかしい」と繰り返しつぶやいたと伝えられます。当時十三歳だった後の映画監督・大島渚は、黙ったまま友人と将棋を指し続けていたといいます。当時二十七歳だった女優の高峰三枝子は、進駐してくる米兵に何をされるのかと身の危険におびえたと伝えられます。同じ放送を聞いていながら、感動も、反発も、恐れも、無関心もあった。歴史を「みんなの一色」ではなく「一人ひとりの色」として見せてくれるのです。年齢も、立場も、その時いた場所も違えば、ひとつの出来事の意味はこれほど枝分かれするのか、と胸を打たれます。本書には、ここで挙げきれないほど多くの人物のその日が、丹念に集められています。誰がどこで、どんな思いでその声を聞いたのか。その続きはぜひ本書で確かめてみてください。

「終戦」という言葉が、急に立体的に響き始めた

この視点を得てから、歴史の受け止め方が変わりました。以前は終戦の日と聞いても、決まりきった一枚の絵が浮かぶだけでした。けれど今は、その日にも数えきれない人生がそれぞれの場所で動いていたのだと、具体的な顔とともに想像できるようになった。たとえば八月十五日をめぐる番組や記事に触れたとき、ひとまとめの「国民」ではなく、戸惑った人、安堵した人、何も感じられなかった人、それぞれの八月十五日が同時にあったのだと感じられる。歴史が遠い出来事ではなく、無数の個人の集まりとして、ぐっと身近に立ち上がってくるようになりました。教科書の一行の背後には、これだけ多様な心の動きが折り重なっていたのだと思うと、過去の出来事を語る言葉そのものに慎重になります。大きな主語でひとくくりにする見方から、一人ひとりの顔を思い浮かべる見方へ。歴史との向き合い方が、静かに更新されました。

知らないままでは、歴史を「のっぺりした塊」として見ていた

この本を読まなければ、私は終戦の日を単色のイメージのまま、その奥にある一人ひとりの心の動きに触れずにいたはずです。著者の中川右介氏は、出版社アルファベータを創立し、雑誌『クラシックジャーナル』の編集長を長く務めた編集者にして著述家です。豊富な文献に基づいて評伝や文化史を数多く著してきた人物で、その丹念な調査の手つきが本書の説得力を支えています。膨大な資料を読み解いてきた著者だからこそ描ける、群像としての終戦があります。自分も歴史をひとまとめに眺めていたかもしれないと感じた方に、開いてほしい一冊です。

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昭和20年8月15日: 文化人たちは玉音放送をどう聞いたか (NHK出版新書 744) 中川 右介 / NHK出版新書

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