摩擦を起こさず、まわりに合わせるのが「大人の仕事」だと思っていた
会議で違和感を覚えても、空気を読んで飲み込む。自分の意見を通すより、波風を立てずに進めるほうが大人の仕事だ——私はずっとそう信じてきました。けれど、角を立てないことを優先するほど、出来上がったものはどこか自分の手触りを失い、「これは本当に自分がつくったものなのか」という空虚さがあとに残ります。その正体不明のもやもやの理由を、この本は名指ししてくれました。
「上手なラブレターの書き方を覚えなさい」という助言
本書で印象に残るのが、著者がNHK時代に先輩から受けたという「愛している人に、そのまま愛していると言っても伝わらない。まずは上手なラブレターの書き方を覚えなさい」という助言です。「これは違う」「自分ならこうする」という熱い思いがあっても、それを言語化し、相手に届く形に翻訳する技術がなければ、ただの独りよがりで終わってしまう。本書が言う「喧嘩」とは、感情をぶつけることではなく、妥協せずに意見をたたかわせ、その上で他者に任せていく営みなのです。一人でできることには限界がある。大きなものをつくるには人の力を引き出すしかなく、そのために避けられないのが、この建設的な「喧嘩」だというわけです。本書では大河ドラマ『龍馬伝』や『ハゲタカ』の制作現場、留学先のハリウッドで学んだ仕事の流儀をたどりながら、著者が実際にどう人を動かし、どう摩擦と向き合ってきたかが具体的なエピソードとともに語られます。「脱藩のススメ」「仮想敵をつくり喧嘩を売れ」といった挑発的な章タイトルが並び、その一つひとつで真意がさらに踏み込んで明かされていきます。続きはぜひ本書で確かめてみてください。
会議で「それは違う」と言えるようになった
この考え方に触れる前、私は会議で違和感を覚えても、波風を恐れて黙っていました。そして帰り道に「あのとき言えばよかった」と何度も反芻し、自分の臆病さに落ち込む。その繰り返しでした。決まった企画に内心では納得していないのに、表向きはうなずいている自分が、いちばん嫌だったのです。けれど「喧嘩とは相手に届く言葉に翻訳する作業だ」と捉え直してからは、反対意見をぶつける前に「どう言えば角を立てずに伝わるか」を一呼吸おいて考えるようになりました。先日も企画会議で違和感を口にできたのですが、ただ否定するのではなく「その方向は分かります。ただ、ここをこう変えるともっと届くと思います」と代案を添えたことで、場が険悪になるどころか議論が前に進んだのです。黙って後悔する側から、言葉を選んでたたかい、前に進める側へ。仕事との距離の取り方が、確かに変わりました。
黙って合わせ続けていたら、自分の仕事を持てなかった
この本を読まなければ、私はこれからも摩擦を避けて自分の意見を飲み込み、誰のものでもない仕事を量産していたはずです。著者の大友啓史は、NHK史上最年少で大河ドラマ『龍馬伝』のチーフ演出を務め、独立後は『るろうに剣心』で国内興行収入三十億円を記録した映画監督です。長回しや徹底したリアリティの追求で大河ドラマのイメージを一新したことでも知られます。生き馬の目を抜くエンターテインメントの現場で勝ち続けてきた人が、自らの格闘を率直に明かしているからこそ、「喧嘩」という強い言葉に重みと説得力が宿ります。読み終えるころには、その言葉が乱暴なものではなく、ものづくりに真摯であろうとする覚悟の表現だと分かるはずです。