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新書嫁レビュー ・ 約 3 分

日本人はもともとそれほどエビが好きではなかった、という事実が食卓の見え方を変えた

「日本人はエビ好き民族だ」とずっと思っていた

エビフライ、エビの天ぷら、エビチリ、エビピラフ——日本の食卓にこれほどエビが並ぶのは、日本人がもともとエビを好む民族だからだと、当然のように思っていました。寿司屋に行けば海老が人気ネタとして並び、お祝いの席には伊勢海老が出る。エビを愛する文化がこの国にはある、と疑ったことがありませんでした。

でも、毎年大量のエビを食べながら、どこかに引っかかりがありました。スーパーに並ぶエビのパッケージに書かれた産地——インドネシア、タイ、ベトナム、インド。どんな場所で、誰が獲って、どんな経緯でここに来たのか。安さの背後に何があるのかを、知らないまま買い続けていました。

村井吉敬著『エビと日本人』を読んで、その引っかかりの正体が見えてきました。

「エビ好き日本人」は作られた文化だった

本書が明かす最初の事実は意表をついていました。歴史的に見ると、日本人はそれほどエビを好んで食べていたわけではないのです。エビが日本の食卓に広く普及したのは、商社・エビ問屋・冷凍食品メーカー・スーパーマーケット・政府がそれぞれの利害を一致させ、意図的に食の嗜好を変えた結果だというのです。

そしてもう一つの数字に、読む手が止まりました。日本の消費者がエビに支払う金額のうち、現地の漁師が手にするのはわずか7.5%。残りの92.5%は流通・加工・輸送・小売りの過程でどこかに消えていきます。著者はインドネシアでトロール漁船に乗り込み、台湾で養殖の現場を歩き回り、「エビを獲る人びと」「エビを育てる人びと」「エビを加工する人びと」の実態を丁寧に記録しています。

本書にはさらに、エビ養殖がアジアの沿岸環境をどう変えていったか、日本のODAと水産業の関係といった、より深い構造的問題についても踏み込んだ章が続きます。ぜひ本書でその全貌を確かめてみてください。

スーパーのエビ売り場の前で、立ち止まるようになった

読む前と後で、買い物のときの感覚が変わりました。以前は「安いエビがあった」という事実だけで手を伸ばしていました。今は、その値札の裏側に連なる長い鎖を意識します。誰かが海に出て、誰かが工場で剥いて、何千キロを渡ってきた。その全過程のわずか7.5%が生産者に届く構造の中で、この値段が成立している。

それは単なる罪悪感ではなく、食べることの意味を問い直す感覚です。日本の食卓の豊かさが何の上に成り立っているかを知ること——それを知った上でどう選ぶかは、各自が判断することです。でも知らないまま消費し続けることと、知った上で選ぶこととでは、日常の質感がまったく違うと感じるようになりました。

「食べる」という行為が世界とつながっていると気づかせてくれた

村井吉敬(1943-2013)は早稲田大学政治経済学部を卒業後、インドネシアのパジャジャラン大学に留学し、東南アジアの経済史を専門とした研究者です。上智大学外国語学部教授を経て、晩年は早稲田大学アジア研究機構教授を務めました。長年にわたる現地調査と鋭い経済分析に基づく本書は、食と国際構造の問題を扱う古典として今も読み継がれています。

この本を読まなければ、「日本人はエビが好き」という当たり前の前提を一度も疑わなかったでしょう。その前提自体が誰かの手で作られたものだという視点は、食卓の向こう側にある世界への問いを開きます。

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エビと日本人 (岩波新書 新赤版 20) 村井 吉敬 / 岩波新書 新赤版

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