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新書嫁レビュー ・ 約 3 分

科学は世界を「冷たい機械」にしたのか——ある数学者の答え

科学とは、世界から温度を奪うものだと思っていた

科学が進めば進むほど、世界はそっけない数式と物質のかたまりになっていく。空の青さも、夕暮れの匂いも、誰かを思う気持ちも、突きつめれば原子の運動にすぎない——私はずっと、そんな冷えた世界観を半ば受け入れていました。便利になるほど、どこか味気なくなっていく感覚。その正体がわからないまま、なんとなく宙ぶらりんのまま生きていたのです。ところがホワイトヘッド著『科学と近代世界』を読んで、その前提そのものが十七世紀に生まれた一つの「クセ」にすぎないと知り、足元がぐらりと揺れました。

「物質だけが実在する」という近代の思い込み

本書が照らし出すのは、私たちが客観的な真理だと信じてきた世界像が、実はガリレオやニュートンの時代に組み上がった特定の発想だという事実です。ホワイトヘッドはこれを「科学的唯物論」と呼びます。世界を、ただそこに在って空間を占めるだけの物質の集まりとして捉える見方です。この前提のおかげで近代科学は驚異的に発展しました。けれども同時に、生きものの実感や、ものごとが移ろい関わり合う性質を、視界の外へ追いやってしまったとされています。著者はこれを「具体性置き違いの誤謬」と名づけ、抽象的な概念を具体的な現実そのものと取り違える錯覚だと指摘します。便利な抽象化が、いつのまにか世界の実像そのものだと信じ込まれてしまう——その落とし穴を、本書は科学の歴史をたどりながら鮮やかに浮かび上がらせます。本書ではさらに、ロマン派の詩人たちがなぜ近代科学に反発したのか、相対性理論や量子論が古い物質観をどう突き崩したのかについても、踏み込んだ議論が展開されます。世界は静止した部品の山ではなく、たえず関わり合いながら生成していく過程である——その「有機体の哲学」の全体像は、ぜひ本書で確かめてみてください。

同じ景色が、急に立体的に見えはじめた

この一冊を読んでから、朝の通勤路がまるで違って見えるようになりました。以前は街路樹も信号も、ただ機械的に配置された物体としてやり過ごしていました。けれど今は、芽吹いていく葉も、行き交う人の流れも、互いに影響し合いながら刻々と変化していく「出来事」として目に映ります。科学が世界を冷たくしたのではなく、世界の一面だけを切り取る道具だったのだと腑に落ちたとき、長く抱えていた味気なさの正体がわかりました。知識が増えるほど世界がやせ細る気がしていたのは、抽象を現実と取り違えていたからだったのです。夜空を見上げても、以前は「ただの天体の運動」と片づけていたのが、今はそこに広がる関係の網そのものを感じるようになりました。霧が晴れるように、日常がもう一度ふくらんで見えはじめました。

この一冊を読まなければ、ずっと宙ぶらりんのままだった

もしこの本に出会わなければ、私は「科学が進むほど世界はそっけなくなる」という思い込みを一生抱えたままだったはずです。著者のホワイトヘッドは、バートランド・ラッセルとともに記号論理学の金字塔『プリンキピア・マテマティカ』を著した数学者であり、後年ハーバード大学の哲学教授として独自の形而上学を打ち立てた人物です。数学の厳密さを知り尽くした人だからこそ、科学の威力とその限界を、これほど深いところから語ることができたのだと思います。同じ味気なさを感じている方には、世界の見え方が組み変わる読書になるはずです。

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科学と近代世界 (中公クラシックス) ホワイトヘッド, 上田泰治, / 中央公論新社

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