富裕層の旅とは、最高級の快適さを買うことだと信じていた
富裕層の旅と聞いて、私が思い浮かべていたのは一流ホテルのスイートルーム、ミシュランの星付きディナー、至れり尽くせりのおもてなしでした。お金を出して最上級の快適さと安心を買う、それが贅沢な旅だと疑っていませんでした。けれど観光のニュースに触れるたび、どこか説明のつかない違和感がありました。日本は世界に誇れる温泉も食もあるのに、なぜ世界の富裕層を取りこめていないのか。その引っかかりを、私は長く抱えたままでした。山口由美さんの『世界の富裕層は旅に何を求めているか』は、その勘違いを根底から崩してくれました。
彼らが求めていたのは「快適さ」ではなく「体験」だった
本書が描く世界の富裕層は、コンフォートゾーンの外側にこそ価値を見いだします。象徴的なのがアフリカのサファリロッジです。贅沢な空間に滞在しながらも、彼らが胸を躍らせるのは、ブッシュのなかで野生動物と対峙するゲームドライブであり、沈む太陽を眺めながらのカクテルタイム。安全で予定調和な快適さではなく、本物の自然に身を置くスリルと体験そのものにお金を払っているというのです。本書によれば、JNTOの定義では一回の旅で百万円以上を使う旅行者が富裕層とされ、全体のわずか一パーセントの彼らが消費額の一割以上を占めるといいます。さらに欧米の富裕層には、財力や地位を持つ者は社会的責任を果たすべきだというノブレス・オブリージュの考え方が根づき、それが旅の選び方にも表れている。サステナビリティと贅沢が両立する世界です。日本の観光が向き合うべき論点は、本書でより深く展開されています。ぜひ確かめてみてください。
旅のニュースの見え方が変わった
この本を読んでから、オーバーツーリズムや観光立国というニュースの受け取り方がはっきり変わりました。以前は「もっと多くの観光客に来てもらえばいい」と漠然と考えていました。けれど今は、人数ではなく一人ひとりがどんな体験に価値を感じているのか、という視点で記事を読むようになりました。旅行サイトでホテルを眺めるときも、設備の豪華さよりも「ここでしかできない体験は何か」を無意識に探している自分がいます。自分自身の旅の計画を立てるときでさえ、有名な観光地を効率よく回る予定表ではなく、その土地でしか味わえない時間をどう組みこむかを考えるようになりました。長年もやもやしていた「日本がなぜ取りこめていないのか」という問いに、ひとつの補助線が引かれた感覚です。観光という言葉が、人を運ぶ産業から、体験を届ける営みへと、自分のなかで意味を変えていきました。
思い込みのまま観光を語っていた自分を更新する
この本を読まなければ、私は「贅沢な旅イコール快適さ」という勘違いを抱えたまま、観光を語り続けていたと思います。著者の山口由美さんは、箱根富士屋ホテル創業家の出身で、旅とホテルをテーマに長年執筆してきたノンフィクション作家です。『ユージン・スミス 水俣に捧げた写真家の1100日』で小学館ノンフィクション大賞を受賞し、体験型旅行やエコツーリズムに深い関心を寄せてきた書き手だからこそ、現場の手触りをもって富裕層の旅の本質を描けるのだと感じました。観光や旅のニュースに少しでも引っかかりを覚えている方に、視界がひらける一冊です。
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