歴史は「英雄と戦争」が動かしてきたと思っていた
歴史の授業で学んだのは、王たちの決断、戦争の勝敗、条約の締結でした。世界史を貫く縦糸は権力者の意思決定であり、それが社会を変えてきたという感覚が当たり前のように染みついていました。食べることの歴史は「農業の発展」として少し触れられるだけで、それが文明や戦争や宗教とどう絡み合っているかを深く考えたことは、長い間ありませんでした。この本を読んで、その見方がひっくり返りました。人類250万年のあいだ、歴史の本当の主役は「食」だったのです。
じゃがいもが帝国を滅ぼし、塩が戦争を起こした
本書が示す事実は、どれも教科書が教えてこなかった視点で満ちています。19世紀のアイルランドでは、ジャガイモの疫病が大飢饉を引き起こし、100万人以上が死亡し、さらに多くの人々が移民として故郷を捨てることになりました。この出来事は近代アイルランドの人口構造を決定的に変えただけでなく、アメリカへの大規模移民という形で新大陸の歴史にも深い傷跡を残しました。
古代ローマでは「ガルム」と呼ばれる魚醤が愛用され、帝国全土に物流網が発達した背景のひとつに食料の輸送需要がありました。大航海時代も、新しい航路を求めた動機のひとつには壊血病を防ぐ保存食の確保がありました。著者の新谷隆史は東京工業大学で神経科学と栄養生理学を研究する科学者で、脳と食の関係という専門的な視点から、人類がいかに「食べること」によって進化してきたかを解明しています。
本書にはさらに、フードテックという現代の食の革命が人類の未来にどのような影響を与えるかについても論じられています。ぜひ本書で確かめてみてください。
食卓が「歴史の断面」に見えるようになった
この本を読む前、朝食のパンはただのパンでした。読んだ後は違います。小麦の栽培化が始まったのは今から約1万年前の肥沃な三日月地帯であり、そこから文明が育ち、国家が生まれ、その穀物の争奪が戦争になり、航路が拓かれ、今日の国際秩序が形成された——そのことを知ると、バタートーストを口に運ぶたびに、人類の壮大な努力の積み重ねを少しだけ感じるようになります。
スーパーの食品売り場に並ぶものが、農業革命、産業革命、植民地支配、冷戦時代の緑の革命という連鎖の上に存在しているのだという意識が生まれました。日常の「食べること」が、それほどまでに深く歴史と繋がっていると知ることは、自分が生きている世界への理解を根本から変えます。
また、本書の後半では食の未来についても論じられています。遺伝子組み換え技術、培養肉、昆虫食といったフードテックの動向が、単なる技術トピックとしてではなく、食料問題・環境問題・地政学的な食料安全保障という文脈の中で位置づけられています。過去250万年の「食と人類の物語」を踏まえた上でその未来を見渡すと、テクノロジーが社会を変えるという話が、より深いリアリティを持って迫ってきます。食の歴史を知ることは、現代と未来を考えるための確かな土台になります。
京都大学農学部出身の脳科学者が解き明かす
著者の新谷隆史は1966年生まれ、京都大学農学部食品工学科を卒業後、博士(理学)の学位を取得し、東京工業大学で神経科学・栄養生理学の研究を続けている科学者です。脳と食を愛するその探求心は、『「食」が動かした人類250万年史』という壮大なタイトルに集約されています。単なる歴史の羅列ではなく、生物学的・医学的な知見が随所に盛り込まれているため、「なぜ人間はそう行動したのか」という問いに深みが生まれます。
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