農耕の起源は一カ所だと学校で教わった
農耕の起源といえば、メソポタミアの「肥沃な三日月地帯」で小麦が栽培されたのが始まりで、そこから世界中に伝わっていったと学校で習いました。人類が狩猟採集から農耕へと移行したのは一つの革命的な出来事であり、その起源を探ればすべてが一本の線でつながっている——そんな単純な図式を、特に疑わず抱えていました。しかしその図式では、なぜ日本の食文化がこれほど独特なのか、アジアの農耕と西洋の農耕がなぜこれほど違うのかが、どこかしっくりと説明されないまま宙に浮いていました。
農耕は「四つの独立した起源」から生まれたという衝撃
中尾佐助が本書で提示した理論は、農耕の起源は一カ所ではなく「四つの独立した源」から生まれたというものです。根菜農耕文化(バナナ・イモ)、サバンナ農耕文化(雑穀・マメ)、地中海農耕文化(ムギ・エンドウ)、新大陸農耕文化(ジャガイモ・トウモロコシ)——これらは互いに無関係に生まれ、それぞれ異なる作物と文化を育てていきました。そして東アジアに特有の「照葉樹林文化」は、根菜農耕文化にイネ・茶・桑といったアジアの作物が融合して形成されたという仮説は、出版当時から大きな反響を呼びました。「なぜ日本人は米を食べ、茶を飲むのか」という問いへの答えが、文化ではなく植物地理学から導かれるのです。本書にはさらに、それぞれの農耕文化がどう交わり、現代の食文化を形成していったかについての分析も展開されており、ぜひ本書で確かめてみてください。
スーパーの野菜売り場が別の場所に見えた
この本を読んでから、スーパーの野菜売り場が違って見えるようになりました。以前はジャガイモとムギとコメを同じ棚に並んで「農産物」として眺めていましたが、今では「これは新大陸農耕文化の産物」「これは照葉樹林文化圏で育まれた作物」という視点が自然に浮かびます。食べるという日常行為が、何千年もかけて異なる地域で独立に生まれた農耕文化の積み重ねの上に成り立っていると実感すると、食卓が急に豊かな歴史を帯びて見えてきました。
一人の植物学者のフィールドワークが常識を覆した
中尾佐助は京都帝国大学農学部を卒業後、大阪府立大学名誉教授として遺伝育種学と栽培植物学を専攻し、アジアからヒマラヤにかけての広域調査を重ねて独自の農耕文化論を打ち立てた植物学者です。「農耕はメソポタミアから世界へ」という思い込みを持ったまま生きていたら、自分たちが食べているものの深い来歴を、今も知らないままでした。