「アンネ・フランクのことを知るなら『アンネの日記』を読めば足りるはずだ」とずっと思っていた
アンネ・フランクの物語は『アンネの日記』を通じて世界中で読まれてきました。私もその日記を中学・高校の頃に読み、ナチスから隠れて暮らした少女の心の動きには深く心を打たれた記憶があります。それ以来、「アンネのことは日記で知っている」「ナチス・ホロコーストについては日記が教えてくれた」と、彼女の物語を一冊の本で完結したものとして整理していました。
でも、アンネが隠れ家にいた時間は2年余りで、その前の時代——なぜ彼女の一家がドイツからオランダに逃げたのか、なぜユダヤ人迫害がここまで激しくなったのか、隠れ家発見後にどこへ送られ、どう亡くなったのか——これらは日記の外にある物語であり、それを知らないまま「アンネを知っている」と言うのは、彼女の生涯のごく一部しか見ていないことに気づかされる感覚はありました。
谷口長世著『アンネ・フランクに会いに行く』を読んで、その「日記の外側」にも踏み込む手がかりが見えてきました。
著者は元欧州特派員として、アンネが生きた地理を実際に旅し、隠れ家の前後の時代まで描き直した
著者が本書で示す核心は、アンネ・フランクの15年余りの生涯を、『日記』の内側だけでなく、彼女が生まれたドイツ・フランクフルト、一家が亡命したオランダ・アムステルダム、ヒトラーが青年期を過ごしたウィーン、そして最後に送られたアウシュビッツ・ベルゲン・ベルゼン収容所——これらの場所を実際に訪ね歩いた旅の記録として描くという視点です。著者は元毎日新聞ブリュッセル支局長として欧州を取材してきたジャーナリストの目で、地理と歴史をつなぎ、アンネの生涯を立体的に再構成します。
特に印象的なのは、ヒトラーが青年期を過ごしたウィーンを「ヒトラーの『わが人生の学校』」として描く章です。ヒトラーがどこで反ユダヤ主義を吸収し、どんな環境で青年期を送ったか——「悪人ヒトラー」を孤立した個人としてではなく、彼を生んだ時代と地域の文脈で理解することは、アンネを殺した力の正体を見つめ直すことに繋がります。第8章「アウシュビッツ生還者たちが語る」では、アンネと同じ収容所を生き延びた人々の証言を取材し、日記が終わった後の彼女の歩みを再構成します。本書にはさらに、アンネ一家のルーツ・隠れ家急襲の経緯・戦後の世界が詳しく描かれています。ぜひ本書でその全貌を確かめてみてください。
「日記の外」の時代と地理を辿ることで、ホロコーストへの理解が一段深まった
読む前と後で、アンネ・フランクとホロコーストへの向き合い方が変わりました。以前は『日記』の感情を共有することで彼女を理解した気になっていました。でも今は、「彼女の一家がなぜ逃げ、どこへ逃げ、どこで捕らえられ、どこで死んだか」という地理と歴史の中で、彼女の生涯を辿る必要があると感じます。
具体的には、『日記』の感動を一度の読書で完結させるのではなく、その前史と後史を知ることで「アンネ一人ではなく、何百万人の犠牲者が辿った道筋」を理解する視点が生まれます。「ナチスとは何だったのか」「なぜホロコーストが起きたのか」という問いも、ヒトラーやドイツだけでなく、ウィーン・オランダ・東欧の文脈の中で捉え直せます。歴史を「一人の物語」ではなく「複数の地理と複数の時代の交差点」として読む眼が、本書を通じて獲得できました。
元毎日新聞ブリュッセル支局長・欧州特派員が、地理を辿る旅でアンネを描いた
谷口長世(1949年名古屋市生まれ)は東京外国語大学フランス語科卒業後、ベルギー政府国費給費生として欧州大学院行政課程に留学し、毎日新聞ブリュッセル支局長として欧州を長く取材してきたジャーナリストです。欧州の地理・歴史・政治を熟知する著者だからこそ、本書ではアンネの物語を「一冊の日記」ではなく「欧州の20世紀全体」の中に位置づける視野が成立しています。
この本を読まなければ、アンネ・フランクを『日記』だけで理解した気になったまま、彼女の生きた時代を地理と歴史で辿り直す視点と向き合う機会を持てないままでいたでしょう。