戦争で死ぬとは、戦って倒れることだと思っていた
戦場で命を落とすというとき、頭に浮かぶのは銃弾に倒れ、戦闘のなかで散る兵士の姿でした。教科書や映画が描く戦死とは、敵と撃ち合った末の死だと信じて疑わなかったのです。けれど、戦争を伝える言葉が「英雄的」であればあるほど、その裏で実際に何が起きていたのかが見えてこず、どこか実感のともなわない居心地の悪さがありました。語られ方と現実のあいだに、埋まらない隙間があるように感じていたのです。毎年八月になると戦争を悼む言葉に触れるのに、自分はその死の実態を何も知らないまま手を合わせている。その後ろめたさのような感覚が、いつまでも消えませんでした。この本を読んで、その隙間の正体がわかりました。多くの兵士は、敵に撃たれて死んだのではなかったのです。
死因の多くは、餓死と病だった
本書が膨大な史料から描き出すのは、戦死よりも戦病死、とりわけ餓死が大きな比重を占めていたという現実です。本書では、死者のおよそ六割が戦闘そのものではなく、栄養失調による餓死やマラリアなどの病で亡くなったとされています。輸送船が撃沈されて海に没した三十万人を超える海没死、戦場での自殺と「処置」と呼ばれた行為、特攻、そして軍靴に鮫の皮まで使わざるをえなかったほどの物資の欠乏。本書は、勇猛と語られてきた日本兵が、補給を軽んじ精神論に頼る特異な軍事思想のもとで、いかに凄惨な体験を強いられたかを、上からの視点ではなく一兵卒の目線から丹念に積み上げていきます。読者からも「事実を記録とともに丹念に積み上げた努力は、新書といえども秀逸」という声が寄せられています。その一つひとつの現実は、本書で確かめてみてください。
戦争の語られ方を、疑うようになった
この本を読む前の私は、戦争の話を勇敢さや悲劇の物語として受け取り、そこで完結させていました。慰霊の式典で「英霊」という言葉を聞いても、その死がどんなものだったかまでは想像が及ばず、ただ頭を下げて終わっていたのです。映画で描かれる戦死の場面も、悲しくはあっても、どこか美しく整えられたものとして眺めていました。けれど読み終えたいま、戦争にまつわる言葉に触れると「この死の中身は何だったのか」と一歩踏み込んで考えるようになりました。飢えて動けなくなった兵士、薬もなく病に倒れた兵士の姿が、言葉の奥に浮かぶようになったのです。祖父母世代の戦争体験を聞く機会があれば、勇ましい武勇伝の奥にある飢えや病のことにも耳を傾けたい。そう思えるようになっただけで、八月の街に流れる戦争の記憶が、まったく違う重さで響くようになりました。
知らないままなら、きれいな物語で終わっていた
この本に出会わなければ、私は戦争をきれいな物語として受け取り、その実態を直視しないままだったはずです。著者の吉田裕は日本近現代軍事史を専門とする研究者で、膨大な一次史料を読み解いてきた人物です。本書はアジア・太平洋賞特別賞と新書大賞を受賞しており、その評価が中身の確かさを物語っています。感情論ではなく史料に徹して一兵卒の現実を描く専門家だからこそ、これまで語られてこなかった死の中身に、静かに光を当てられるのです。自分も戦争を遠い物語として眺めてきたかもしれない。そう感じた方は、ぜひ本書でその現実を確かめてみてください。