年中行事は、由来を知識として覚えるものだと思っていた
節分の豆まき、七夕の短冊、冬至のゆず湯。日本の年中行事といえば、それぞれの由来や意味を知っているかどうか、つまり頭の中の知識の問題だと長いあいだ思っていました。子どものころは季節の節目をはっきり感じていたはずなのに、大人になると行事はカレンダーの予定の一つになり、なんとなく済ませて通り過ぎていく。どこか味気なく、季節が流れていく感触そのものが薄れていくような物足りなさがありました。意味を知っているはずなのに、ちっとも心が動かない。それはきっと自分の感受性が鈍ったせいだと、半ばあきらめてもいました。山下柚実著『年中行事を五感で味わう』を読んで、その思い込みが根本からほどけました。
行事は「知る」ものではなく「感じる」ものだった
本書が示すのは、年中行事を知識ではなく五感でとらえ直すという視点です。たとえば冬至を語るとき、著者が手がかりにするのはゆず湯の香りそのもの。鼻先に立ちのぼる柑橘の匂いが、その日の意味を体に思い出させます。夏の打ち上げ花火なら、目に映る光より先に、腹の底にずしんと響く大きな音をとらえる。寺でおびんづる様を撫でるときの、つるりとした木肌の感触。東大寺のお水取りで燃える松明の、煙のにおい。行事のひとつひとつが、匂い・音・手触りといった感覚の記憶として描き直されていきます。言われてみれば、子どものころに季節をはっきり感じていたのは、由来を知っていたからではなく、こうした匂いや音や手触りが体に刻まれていたからでした。知識が薄れても、感覚の記憶のほうがずっと長く季節を呼び起こしてくれる。本書ではこうして四季の行事が五感ごとに並べ替えられ、見慣れた歳時記がまったく違う表情を見せていきます。その続きは、ぜひ本書で確かめてみてください。
季節が、体で感じ取れるものに戻ってきた
この視点を知ってから、季節の行事との向き合い方が変わりました。以前は節分といえば豆まきを義務のようにこなして終わりでしたが、今は炒り豆の香ばしい匂いや、撒いた豆が床に当たる乾いた音に意識が向くようになりました。七夕の笹に短冊を結ぶとき、葉ずれの音や青い匂いを感じている自分がいる。頭で覚えていた行事が、体で味わえるものに戻ってきた感覚です。冬至の日に湯船に浮かべたゆずを手のひらで転がし、その香りを深く吸い込むだけで、ああ今年も折り返しまで来たのだと実感する。流れていくだけだった一年に、匂いや音の手触りが点々と灯り、季節の移り変わりが急に立体的になりました。
知らないままなら、季節は通り過ぎるだけだった
この本を読まなければ、年中行事はこれからも由来を確認して、なんとなくこなして終わる予定のままだったはずです。せっかく一年に何度も訪れる季節の節目を、味わわないまま通り過ぎていたでしょう。著者の山下柚実さんは五感生活研究所を主宰し、『五感生活術』など五感をテーマに書き続けてきたノンフィクション作家です。だからこそ、知識ではなく感覚から季節をとらえ直す道筋を、岩波ジュニア新書の平易な言葉で手渡してくれます。鈍ったと思っていたのは感受性ではなく、感じる入り口を忘れていただけだった。あなたの毎年なんとなく過ぎていく行事にも、まだ味わいきれていない匂いや音が眠っているかもしれません。