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新書嫁レビュー ・ 約 3 分

ニュースは「何を報じたか」がすべてだと思っていた——著者が問うのは、報じられなかった側だった

ニュースは、起きたことをそのまま伝えてくれるものだと思っていた

テレビや新聞のニュースを見るとき、私はそこに映し出されたものが「その日に起きたこと」だと素朴に信じていました。報道とは事実を運ぶパイプのようなもので、流れてくる情報を受け取っていれば、世の中の輪郭はおのずと見えてくる。そう思っていたのです。けれど、その前提で情報に接していると、ときどき妙な居心地の悪さが残ります。複数の媒体が同じ話題を同じ角度で扱う一方で、気になっていた別の話はいつのまにか画面から消えている。その欠けた部分の説明がつかないまま、もやもやが積もっていく。西村幸祐さんの『報道しない自由』は、その違和感に一つの見方を与えてくれる一冊でした。著者が光を当てるのは、報じられた情報ではなく、報じられなかった側だったのです。

「報道する自由」の裏側に、「報道しない自由」があるという視点

この本が提示するのは、メディアには報道する自由だけでなく、ある事実を取り上げないという「報道しない自由」も存在する、という著者の視点です。本書によれば、論調や立場にとって都合の悪い事実は、カットされたり扱われなかったりすることがある。そして、ネットやSNSが普及した今、人々は同じ出来事を別の経路からも知れるようになり、両者のずれに気づきやすくなった、と著者は論じます。本書では新型コロナウイルスをめぐる報道や、北京オリンピック、電波の割り当てのあり方など、具体的なテーマを通して、何が伝えられ何が伝えられなかったのかが検証されていきます。終章では、あらゆるメディアには発信者の意図が含まれうるという前提に立って、情報とどう向き合うかが語られます。本書には、こうした観点から情報を見極めるためのチェック項目も整理されており、受け手の側に立った読み方が示されています。一つの報道を鵜呑みにするのではなく、扱いの大きさや、触れられていない論点に目を向けるという姿勢です。著者の主張に賛同するかどうかは読者それぞれの判断に委ねられますが、少なくとも「報じられたものだけが全体ではないかもしれない」という問いを持つきっかけとしては、考える材料を多く与えてくれる内容になっています。

情報を「鵜呑みにしない」習慣がつくと、世界の見え方が立体になった

読む前の私は、ニュースを見れば「世の中を知った」つもりになっていました。流れてきた情報を、そのまま自分の理解として受け取っていたのです。けれど読んだ後は、一つの報道に触れたとき「では、ここで触れられていないのは何だろう」と一拍おいて考える癖がつきました。同じ出来事を複数の媒体で見比べ、扱いの大きさや角度の違いに目をとめる。すると、画面に映っているものだけが世界の全体ではない、という当たり前の事実が、急に立体的に感じられてきます。情報を受け取る側として、自分の頭で輪郭を描き直す余地があると気づいたとき、ニュースとの付き合い方が一段落ち着いたものになりました。

知らないままなら、ずっと画面の中だけを世界だと思っていた

この本を読まなければ、私はこれからも報じられたものだけを世界の全体だと思い込んでいたはずです。報じられなかった側に目を向けるという視点を持つだけで、情報との距離の取り方がこれほど変わるのか、と静かに考えさせられました。著者の西村幸祐さんは、慶應義塾大学在学中から「三田文学」の編集に携わり、長年メディアや言論を論じてきた批評家です。情報の洪水の中で何を信じるかを各自が問われる時代だからこそ、受け手の足場を整えてくれる一冊として読めます。

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報道しない自由 - 「見えない東京の壁」とマスメディアの終焉 - (ワニブックスPLUS新書) 西村 幸祐 / ワニブックスPLUS新書

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