平常心とは、何が起きても動じない強さだと思い込んでいた
平常心という言葉を、私はずっと「どんな大舞台でも緊張せず、感情を押し殺して冷静でいられる強さ」のことだと思い込んでいました。だから本番でうまく落ち着けない自分を、心が弱いのだと責めていたのです。けれども、その理解のままだと、いつまでたっても自分の動揺が消えてくれません。緊張するたびに「平常心が足りない」と焦り、その焦りがさらに自分を追い込む。何かがずっとかみ合わないまま、肝心な場面で力を出せずにいました。野田大燈さんが監修した『平常心是道』を読んで、その思い込みが根底から覆りました。
「いつも通りの心」こそが道だった
本書の核にあるのは、平常心是道という禅語です。これは中国の禅僧、趙州と南泉のやりとりに由来し、特別な境地ではなく、ありふれた日々の心そのものが、そのまま道に通じているという意味だと本書は説きます。つまり平常心とは、動揺を消し去った無感情の状態ではなく、緊張も不安も抱えたまま、いつも通りの自分でいることだというのです。消そうとすればするほど、緊張は逆に膨らんでいく。それを抑え込む対象としてではなく、いつもの自分の一部として連れていく。そう考え方を入れ替えるだけで、心の構えが大きく変わります。この言葉を最も大切にしていたのが、サッカー日本代表を率いた岡田武史監督でした。本書によれば、二〇一〇年のワールドカップ直前、強化試合で四連敗を喫し、辞任論まで噴き出すほどの逆風のなか、岡田監督はこの言葉を支えに選手たちと向き合い、日本を決勝トーナメント進出へと導いたとされています。本書では、その言葉が逆境のなかでどう力になったのかが、さらに具体的に語られていきます。気になる方は、ぜひ本書で確かめてみてください。
緊張を消そうとしなくなったら、楽になった
読んでから、本番に臨むときの心の持ち方が変わりました。以前は大事なプレゼンの前になると、緊張をなんとか消そうと躍起になり、消えないことにかえって動揺していました。今は、緊張しているのはいつも通りの自分なのだと、そのまま受け止めるようになりました。手が震えても、心臓が速くなっても、それを抑え込もうとせず、ただいつもの手順を一つずつ進めていく。すると不思議なことに、動揺に振り回されずに済むようになりました。平常心を「無の境地」だと思っていたころは、達成できない理想に押しつぶされていました。「ふだんのままでいい」と思えるようになってから、肩の力が抜けて、かえって落ち着いて立てるようになったのです。
知らないままでは、自分を責め続けていた
この本に出会わなければ、私は平常心を遠い理想として掲げ、達成できない自分を責め続けていたはずです。監修した野田大燈さんは、香川県に喝破道場を開き、坐禅や農作業を通じて不登校やひきこもり、非行に悩む若者たちの自立を半世紀近く支えてきた曹洞宗の禅僧です。岡田監督とも深い親交があったと伝えられています。机上の精神論ではなく、揺れる心を抱えた人々と現場で向き合い続けてきた人だからこそ語れる、地に足のついた言葉がここにあります。禅語は遠い悟りの話ではなく、本番に臨むすべての人の足元を照らす実用の知恵なのだと教えられました。平常心を「強さ」だと誤解して苦しんできた方こそ、ひらいてほしい一冊です。