認知症は、なってしまえば手の打ちようがないと思っていた
認知症という言葉には、ある種の諦めがつきまとっていました。遺伝や年齢で決まる避けられない運命で、いざ発症すれば本人にも家族にもどうにもできない。そう思い込んでいたのです。だから予防という発想すら持たず、ただ漠然と、自分や親の番が来ませんようにと祈るような気持ちでいました。けれど、その受け身の構えのままでは、年を重ねるほど不安だけが膨らんでいきます。本書はその思い込みを、医学の最前線に立ってきた著者の言葉で静かに崩していきます。認知症は何もできない病ではなく、日々の習慣で立ち向かえる相手なのだと、希望のある現実を差し出してくれるのです。
「脳に楽をさせない」という、意外な処方箋
本書で印象に残ったのは、認知症を生活習慣の延長線上で捉える視点でした。著者は、よく歩くこと、よく眠ること、一汁三菜を心がけることといった、誰にでも始められる習慣を具体的に挙げていきます。なかでも心に残ったのが、脳に楽をさせないという考え方です。便利さに身を委ねて頭を使わずに済ませるのではなく、あえて手間や工夫を残すことが脳を守る。趣味がたくさんある人ほど発症リスクが低いという指摘も、暮らし方そのものが予防につながることを物語っていました。特別な薬や高価な検査ではなく、今日の過ごし方の積み重ねが脳の未来を左右する。そう聞くと、予防という言葉が急に自分の手の届くところに降りてきます。本書ではこのほかにも、良い睡眠が脳の老廃物を洗い流す仕組みや、ポリフェノールをはじめとする食事の工夫、そして受け身ではなく主体的に生きることが脳を活性化させる理由など、科学的な根拠を踏まえた話が章ごとに展開されます。読むほどに、明日から試せることが一つ、また一つと見つかるのです。
毎日の散歩が、ただの運動ではなくなった
読んでからの変化は、何気ない習慣の意味づけに表れました。これまで気が向いたときにしていた散歩を、いまは脳を守るための時間として意識して続けています。同じ三十分でも、不安を紛らわすための運動ではなく、未来の自分への投資だと思えると、足取りまで前向きになるから不思議です。食事も、何を抜くかと我慢ばかり考えるのではなく、一汁三菜という形を整えるだけでいいと知って、ずいぶん気持ちが落ち着きました。便利な道具に頼りきっていた家事を、あえて少し手間をかけてやってみるようにもなりました。漠然とした恐れにただ怯えていた頃と比べて、いまは自分の手でできることがあるという感覚が、日々に小さな安心を与えてくれています。
知らなければ、ただ怯えて年を重ねるだけだった
認知症に立ち向かう手立てがあると知れたことは、何より大きな収穫でした。著者の杉本八郎さんは、世界初のアルツハイマー病治療薬であるアリセプトを開発し、薬のノーベル賞とも呼ばれる賞を受けた認知症研究の第一人者です。その道を究めた専門家自身が、八十歳を超えてなお毎日実践していることだからこそ、言葉に揺るぎない説得力があります。もし読まなければ、私はこれからも認知症を避けられない運命と決めつけ、ただ怯えながら年を重ねていたでしょう。老いへの不安をどこかに抱えている方こそ、この一冊でその受け取り方が変わる感覚を確かめてみてください。