歌のうまさは生まれつきの才能だと思い込んでいた
カラオケで高い音にさしかかると声が裏返る。あの瞬間が苦手で、私は長いあいだ、歌のうまさは生まれ持った才能で決まるものだと思い込んでいました。声域が狭いのは喉のつくりのせいで、自分には無理なのだと諦めていたのです。歌うこと自体は好きなのに、人前ではいつもどこか縮こまってしまう。その小さな引け目が、ずっと胸の奥に残っていました。ところがこの本を読んで、その思い込みは音を立てて崩れました。声域は才能ではなく、体の使い方の問題だったのです。
喉ではなく「体ぜんぶ」が楽器だった
本書がまず覆してくれるのは、声は喉から出すものだ、という素朴な思い込みです。著者は、体そのものをひとつの楽器とみなし、横隔膜や裏声の使い方を的確にマスターすれば、誰でも安定した2オクターブの音域を手に入れられると説きます。印象的なのは、日本人の体に合わせて理学療法士らと研究した発声体操が、具体的に紹介されている点です。高い声を「がんばって出す」のではなく、力を抜いて体を響かせる。喉の一点に頼るのではなく、呼吸と姿勢で全身を鳴らす。その発想の転換が、読んでいて新鮮でした。読者の声のなかにも「口やのどの開き方、声帯や体の部位の使い方だけでなく、呼吸体操や腹式呼吸まで分かりやすく載っていて、さっそく実践した」という感想がありました。ミックスボイスの出し方や喉のリラックス法が分かりやすかった、という声もあります。難しい専門書ではなく、今日から試せる手順として書かれている点も心強いところです。本書には、楽しく歌うために知っておきたい発声の常識や、ウィーン式の音楽教育の知恵についても、より踏み込んだ話が展開されています。
カラオケが「試される場」から「遊べる場」に変わった
この本に出会う前、カラオケは私にとってどこか試験のような場でした。高音のサビが近づくたびに体が固くなり、出なかったらどうしようと身構えて、結局いつも無難な曲ばかり選んでいました。友人に「次どうぞ」と回されるのが、内心ひやひやする時間でもありました。けれど、喉ではなく体で支えるという感覚を意識してみると、力みが少しずつ抜けていきました。読者のなかにも「本を読んですぐ、意識して声が出た」「年齢とともに出にくくなっていた高音が出た」という体験を語る人がいて、その手応えはよくわかります。いまは、出る出ないを心配する前に、まず体をゆるめて歌ってみようと思えるようになりました。無理に張り上げていた頃よりも、声が素直に前へ出ていく感覚があり、歌い終えたあとの疲れ方も違いました。歌うことが、評価される場面から、ただ気持ちよく声を出して遊べる時間へと変わったのです。
諦めなければよかった、と思える一冊
声域は生まれつきだと諦めたままでいたら、私はこれからもずっと、好きな歌を縮こまって歌い続けていたはずです。著者の野口千代子さんは、ウィーン国立音楽大学大学院の発声科を修了し、オーストリアの国家資格を持つヴォイストレーナーです。国際ブルックナー音楽祭やウィーン少年合唱団のスタッフとして文化交流にも携わってきた人で、本場で磨いた知見が一冊に凝縮されています。高い声は自分には無理だ、と思い込んでいる方こそ、ぜひ本書でその思い込みを確かめてみてください。