失望したとき、それを引きずることは弱さだと思っていた
うまくいかなかったとき、期待していたものが手に入らなかったとき、あるいは自分が思ったように動けなかったとき——そういう「がっかり」を早く手放して、気持ちを切り替えるべきだと長年思っていました。落ち込み続けることは後ろ向きであり、強い人間はすぐに立ち直る。がっかりしたままでいるのは、どこかに問題がある証拠だというような感覚が、知らないうちに自分の中に根付いていました。失敗したら反省して前に進む、それが健全な人間の在り方だと思い込んでいました。でもこの本を読んで、その前提そのものが問い直されました。「がっかりしたままでいい」——その言葉が、意外なほど深いところに届きました。がっかりを抱えたまま生きることの中に、本当の自由があると気づかされた一冊です。
学校に上手く通えない実花が示す、もうひとつの「正しさ」
本書の主人公・実花は、大人になる前の微妙な年頃の少女です。学校に上手く通えず、周囲の期待に応えられず、自分がどこへ向かえばいいかもわからない——そういう状況の中で、彼女は「がっかりしたままでいいのかもしれない」という感覚と向き合っていきます。
著者の中島たい子は、すばる文学賞を受賞した小説『漢方小説』で知られ、第132回芥川賞の候補にもなった作家・脚本家です。多摩美術大学を卒業し、放送作家を経た経歴を持つ彼女が、この本で投げかけるのは「生きることとがっかりすることは、切り離せない」という問いです。解説を担当した山崎ナオコーラは「これでいいのだ」と気がついてから実花は少しずつ生きるのが楽になっていく、と語っています。想像できる限りの自由を求めながら、あまり苦しまずに生きていきたい——そういうシンプルな願いが、この物語の底に流れています。本書にはさらに、実花がどんな場面でその感覚にたどり着くかについても丁寧に描かれています。ぜひ本書で確かめてみてください。
「立ち直れない自分」を恥じるのをやめた
この本を読む前、がっかりした気持ちを誰かに見せることは、精神的な弱さを露呈することだと思っていました。読み終えた後、その認識が変わりました。がっかりするとは、それだけ何かに真剣に向き合っていた証拠でもある。傷つくことを避けながら生きるよりも、傷ついた状態でも前へ進む選択肢があることを、主人公・実花が静かに示してくれます。
読む前は、日常の中でうまくいかない出来事があると、「なぜすぐに立ち直れないのか」という自己批判が先に立っていました。読んだ後は、「このがっかりをもう少し抱えていてもいいのかもしれない」という気持ちが自然に浮かぶようになりました。生き方の余白が、少しだけ広がった感覚があります。仕事でうまくいかなかった日も、以前より少しだけ穏やかに夜を終えられるようになりました。
若い読者だけでなく、大人にこそ届いてほしい言葉
ちくまプリマー新書は若い世代に向けたシリーズとして知られていますが、本書のテーマは決して若者だけのものではありません。「がっかりを切り捨てずに生きる」という視点は、年齢を重ねれば重ねるほど、むしろ忘れがちなものかもしれません。すばる文学賞受賞作家・中島たい子が描く生き方の問いは、苦さと優しさを同時に持っています。
この本を読まなければ、「がっかり」をずっと欠点として処理し続けていたと思います。それがどれほど自分を窮屈にさせていたか、読んで初めて気づきました。