環境を守るのは、一人ひとりの心がけだと思っていた
マイバッグを持ち歩き、ペットボトルを分別し、電気をこまめに消す。私はずっと、環境問題に向き合うとはそういうことだと信じてきました。だからこそ、どれだけ自分が気をつけても地球温暖化のニュースが暗くなる一方なのを見ると、どこかで「自分の努力には意味があるのだろうか」という、はっきりしないむなしさを抱えていました。良いことをしているはずなのに、世界はちっとも良くならない。そのちぐはぐさが、ずっと胸の奥にひっかかっていたのです。その違和感を根っこからほどいてくれたのが、この一冊でした。
問われているのは「心がけ」ではなく「しくみ」だった
本書が投げかけるのは、「エコな暮らしをすれば環境問題は解決するのか」という、私がまさに信じこんでいた前提そのものへの問いです。著者は、環境倫理とは個人の節約や善意を競うことではなく、環境問題に対処するための社会の仕組みを、どんな論理で組み立てるかを考える学問だと位置づけます。たとえば本書では、環境破壊の責任は最終的にものを買う消費者にあるのか、それともつくり出す生産者の側にあるのか、という論点が丁寧に解きほぐされていきます。個人の罪悪感に頼る発想から、法や制度をどう設計するかという発想へと、視点がぐるりと反転する瞬間がありました。
本書では、功利主義や義務論といった倫理学の基本的な考え方を土台にしながら、生物種の絶滅をなぜ防がなければならないのか、まだ生まれていない将来世代の幸せをなぜ今の私たちが考える必要があるのか、といった一筋縄ではいかない問いにも踏みこんでいきます。「つくられた自然は偽物なのか」「都市での暮らしは本当に環境に悪いのか」といった章では、私が漠然と善悪を決めつけていた事柄が、もっと奥行きのある問いとして立ち上がってきます。続きはぜひ本書で確かめてみてください。
自分を責めるのをやめたら、視界が開けた
この本を読む前の私は、環境問題のニュースに触れるたびに、どこかで自分の暮らしぶりを反省するだけで終わっていました。読んだあとは、同じニュースを見ても「では、この問題に効くしくみはどう設計されているのか」「責任を負うべきなのは誰なのか」と、自然に考えるようになりました。スーパーのレジでマイバッグを出すとき、以前は小さな達成感と同じだけの後ろめたさがありましたが、今は個人の努力と社会の制度は別物なのだと割り切れて、肩の力が抜けています。むなしさの正体は、本来しくみが担うべき重荷を、たった一人で背負おうとしていたことだったのだと、ようやく腑に落ちました。
知らないままだったら、ずっと一人で抱えこんでいた
もしこの本に出会わなければ、私は今も「自分の心がけが足りないから世界は変わらない」と思いこんだまま、報われない努力を続けていたはずです。著者の吉永明弘さんは法政大学人間環境学部の教授で、環境倫理学・環境正義・都市の持続可能性を専門に研究を重ねてきた人です。『都市の環境倫理』などの専門書も手がけるその知見が、中高生にも届く平易な言葉に翻訳されているからこそ、私のような門外漢でもすっと考え方を受け取ることができました。環境問題に対して、どこかしっくりこないものを感じている人がいるなら、その違和感の正体がここにあるかもしれません。