蕎麦屋の良し悪しは「麺の味」で決まると思っていた
蕎麦屋に入ると、私はいつも麺のコシや香りばかりを気にしていました。手打ちかどうか、十割か二八か。それを語れることが蕎麦好きの証だと、どこかで思い込んでいたのです。でも、その物差しで店を選んでいると、なぜか「また来たい」と思える店と、味は悪くないのに二度と足が向かない店があって、その差をうまく説明できませんでした。麺だけを見ていると、自分が本当に何を求めて暖簾をくぐっているのかが、ずっとぼやけたままだったのです。その霧を晴らしてくれたのが、金久保茂樹さんの『蕎麦屋になりたい 実践!手打ち修業の一週間』でした。
味が占める割合は、たった三割だった
本書で印象に残るのは、飲食店において料理の味が占める重要度は三割ほどにすぎない、という現場の言葉です。残りを支えているのは、接客であり、店の空気であり、店主の人柄だというのです。著者は長年蕎麦に憧れ、全国の名店を食べ歩き、蕎麦について本まで書いてきた人物ですが、自分で打った経験はありませんでした。そこで一週間、実際の店に入り、こねて、延ばして、皿洗いまでこなす。その修業の日々を通して見えてくるのは、一杯の蕎麦の裏にある膨大な手間と、店主が客に向ける気配りの細やかさです。著者は皿洗いひとつとっても、客が見ていない場所での所作が店の印象を静かに左右することに気づいていきます。本書には、味だけでは語れない「通いたくなる店」の条件が、修業の汗とともに具体的に描かれています。職人の手さばきだけでなく、開業を志す人へ向けた現実的な助言や、転身した人たちの声も収められており、蕎麦という一杯の向こうに「商いとは何か」という問いまで見えてきます。蕎麦の奥にある世界の続きは、ぜひ本書で確かめてみてください。
蕎麦をすする時間そのものが、ごちそうになった
この本を読んでから、蕎麦屋での時間の過ごし方が変わりました。以前は出てきた蕎麦を黙々と食べ、味を採点して帰るだけでした。今は、暖簾の色や、店主が湯気の向こうで手を動かす音、卓に置かれた一輪の花にまで目が行きます。先日入った店では、麺は決して特別ではなかったのに、店主が「今日は寒いですね」と湯呑みを温めて出してくれただけで、ふっと心がほどけました。そういう瞬間こそが、自分が蕎麦屋に求めていたものだったのだと、ようやく腑に落ちたのです。さらに会計のとき、店主が「またどうぞ」と目を合わせてくれただけで、次もここに来ようと自然に思えました。麺の採点表から自由になったぶん、店の空気まるごとを味わえるようになり、一杯の蕎麦が前よりずっとおいしく感じられるようになりました。
知らないままだと、半分しか味わえない
この本に出会わなければ、私はこれからも麺の出来不出来だけで店を裁き、そのたびに「何かが足りない」という違和感を抱え続けていたはずです。著者の金久保茂樹さんは料理や旅をテーマに数多くの著作を持つ書き手で、長年蕎麦を見つめてきた人ならではの愛情と観察眼が一週間の修業に注ぎ込まれています。だからこそ、職人の世界の厳しさも、客として味わう喜びも、両方の側から描けるのです。蕎麦をただの食べ物として消費していないか——そう自分に問いかけたくなる方にこそ、手に取ってほしい一冊です。