差別は大昔から自然に続いてきた、と思い込んでいた
部落差別という言葉を聞いたとき、私はどこかで「それは遠い昔から、なんとなく続いてきたもの」だと思っていました。理由を問われても答えられないのに、「昔からあるものだから」という曖昧な納得で済ませていたのです。けれどその曖昧さは、いつもどこか心に引っかかっていました。差別が不当なものだとわかっているのに、なぜ生まれ、なぜ今も残るのかを説明できない。その宙ぶらりんな状態が、ずっとしっくりこなかったのです。上杉聰さんの『天皇制と部落差別』は、その違和感に正面から答えてくれる一冊でした。
差別は「自然」ではなく、つくられた歴史だった
本書が示すのは、被差別は決して太古から自然に存在したのではなく、特定の社会のしくみのなかで生み出されてきたという視点です。著者は、中央集権的な体制が整えられていく過程で、納税の枠組みから外れた人々や、当時「穢れ」と結びつけられた仕事に従事した人々が、しだいに賤しいものとして扱われるようになっていった経緯を丁寧に追います。つまり差別は、人間が後からつくり出した社会的な構造の産物であり、決して「自然なもの」でも「正当なもの」でもない。本書では、戸籍や家の制度がどのように差別を温存させてきたか、解放令が出された直後にどのような反発が起きたのか、近代に入って何が変わり、何が変わらなかったのかについても、さらに踏み込んで論じられています。とりわけ、明治期に身分の解放が宣言されたあとも、現実の社会では差別がすぐには消えなかったという事実は、制度を一つ変えれば済む単純な問題ではないことを静かに突きつけてきます。一つひとつの記述を追ううちに、漠然と「昔から」と思っていたものに、はっきりとした輪郭が見えてきます。歴史をたどると、それが人の手でつくられ、人の手で支えられてきた仕組みであることがわかってくるのです。
「理由のない差別」が「理由のわかる不当さ」に変わった
この本を読む前、私にとって差別は「なんとなくあるもの」で、だからこそ手の付けようがないもののように感じていました。けれど起源と仕組みを知ったあとは、見え方がまるで変わりました。差別は自然現象ではなく、人がつくった構造である。つくられたものであるなら、なぜそれが不当なのかを言葉で説明できるし、変えていく対象として考えることもできる。歴史を学んだのは、誰かを責めるためではありません。なぜ不当なものが生まれ、続いてきたのかを理解することで、自分のなかの曖昧な思い込みを手放すためでした。ニュースで関連する話題に触れたとき、以前のように黙って通り過ぎるのではなく、その背景を考えられるようになった。学校の歴史で習ったいくつかの出来事が、これまでばらばらだった点として記憶に残っていたのに、本書を読んだあとは一本の線でつながって見えるようになりました。なぜそうなったのかを問える視点を持てたことで、世界が少しだけ整合して見える。その変化は、私にとって確かなものでした。
知らないままでいることの、静かな危うさ
この本を読まなければ、私はずっと差別を「理由のわからない、昔からあるもの」として曖昧に抱えたままだったと思います。著者の上杉聰さんは、被差別部落に身を置きながら長年研究を重ね、部落史研究に新しい視点をもたらしてきた歴史研究者です。当事者の現実に寄り添いながら史料を読み解いてきたからこそ書ける、説得力のある一冊です。差別を「仕方のないもの」として受け流していた自分に気づいた方には、その思い込みがどこから来たのかを確かめる入り口になるはずです。