日本最古の歴史書は「日本書紀」一冊だと思っていた
古代日本の正式な歴史といえば「日本書紀」。学校でそう習って以来、私の頭のなかでは古代史の根本史料はあの一冊で完結していました。神話から始まる壮大な物語、それが朝廷の唯一の公式記録だと信じきっていたのです。けれど、どこか腑に落ちないものも残っていました。日本書紀は七二〇年に完成したのに、では平安時代の出来事は誰がどう記録していたのか。その空白を、私はずっと曖昧なまま放置していました。遠藤慶太さんの『六国史―日本書紀に始まる古代の「正史」』は、その違和感の正体を一冊で解きほぐしてくれました。
正史は一冊ではなく、六冊のリレーだった
本書によれば、古代国家が編んだ正式な歴史書は「日本書紀」だけではありません。続いて「続日本紀」「日本後紀」「続日本後紀」「日本文徳天皇実録」、そして「日本三代実録」と、合わせて六つの史書が連なっています。これを総称して「六国史」と呼ぶのだそうです。天地の始まりから平安中期の八八七年まで、国家の動向がバトンを渡すように切れ目なく記録されていた。日本書紀はその先頭走者にすぎなかったのです。私が感じていた「平安時代の記録は誰が」という空白は、後続の五冊がきっちり埋めていました。本書は序章で「六国史とは何か」を示したあと、第一章で日本書紀を、第二章で続日本紀と日本後紀を、第三章で成熟する平安宮廷の三書を、と章ごとに腰を据えて解きほぐしていきます。さらに本書は、それぞれの書の真偽や編纂の事情を解説するだけでなく、後世にどう紛失し、改竄され、読み継がれてきたかという、中世から近代にいたる受容の歴史にまで踏み込みます。実際、六国史のなかには完全な形で伝わらなかった巻もあり、後世の人々がそれをどう補い、どう読み解こうとしてきたかが描かれます。歴史書そのものが、たどってきた歴史を持っている。その視点には膝を打ちました。各書がどんな思惑のもとに書かれたのか、より踏み込んだ話は本書で確かめてみてください。
「正史」という言葉の重みが変わった
この六冊の連なりを知る前と後では、古代史の本を開いたときの感覚がまるで違います。以前は「日本書紀にこう書いてある」という一文を、絶対的な事実として受け取っていました。けれど今は、それが六つの史書のどこに位置するのか、誰がどんな時代に何のために書き残したのか、という奥行きを自然と意識するようになりました。たとえば平安貴族の日記や歌物語を読むときも、その背後で国家が公式に時代を記録し続けていた営みを思い浮かべられる。博物館で古代の写本の展示を見たときも、以前なら素通りしていたものを、これは六国史のどの段階に連なる史料なのだろうと足を止めて眺めるようになりました。点として覚えていた古代の知識が、八百年以上にわたる一本の線としてつながった感覚です。教科書の年表に並んでいた断片的な事件が、急に前後の文脈を持った立体的な流れとして見えはじめました。
一冊の常識を、六冊の連なりに更新する
この本を読まなければ、私は「正史イコール日本書紀」という思い込みを一生抱えたままだったと思います。著者の遠藤慶太さんは皇學館大学で古代史を担当する教授であり、日本書紀の形成過程を専門に研究してきた史料学の第一人者です。一次史料を丹念に読み解いてきた研究者だからこそ、難解になりがちな六国史の世界を、こうして一冊で見渡せる形に整理できるのだと思います。古代史をどこか遠い神話の話だと感じている方こそ、この連なりの全体像に触れてみてほしいです。