自由はみんなが同じものを指していると思っていた
自由という言葉は、誰にとっても同じ意味を持つものだと思い込んでいました。だからこそ、ニュースで人々が「自由」を叫びながら正反対の主張をぶつけ合う光景を見ても、どこか釈然としない気持ちが残っていたのです。同じ言葉を使っているのに、なぜこれほど話がかみ合わないのか。その違和感を放置したまま、世の中の対立をうまく整理できず、議論を見るたびにどこかもやもやした気持ちだけが積もっていました。その曖昧さに輪郭を与えてくれたのが、先崎彰容さんの『国家の尊厳』でした。
コロナ禍で衝突した「二つの自由」
この本で核心を突かれたのは、コロナ禍で人々が対立したのは、実は「二つの自由」がぶつかっていたからだという指摘です。本書では、外出や営業を制限されない「個人の自由」と、感染から守られる安全を社会全体で確保しようとする「共同体の自由」とが、同じ言葉のまま正面衝突していた構図が描かれます。一方は「私の生活を縛るな」と訴え、もう一方は「みんなの安全を守れ」と訴える。どちらも自由を掲げているのに、向いている方向はまるで逆なのです。私たちは一つの自由を奪い合っていたのではなく、種類の違う自由をめぐって争っていた。そう気づくと、あの時期の出口の見えない混乱が急に見通しよく整理されていきました。本書はこのほかにも、グローバリズムの中で揺らぐアメリカの「自由」と「民主主義」、戦後民主主義の限界と象徴天皇のあり方、政治の場でくり返される自助・共助・公助という言葉の意味についても、より踏み込んだ議論が展開されます。私たちが当たり前に使う言葉が、いかに前提を共有しないまま流通しているか。その続きはぜひ本書で確かめてみてください。
ニュースの対立が、構造として見えるようになった
この本を読んでから、政治のニュースの見え方が変わりました。以前は対立する両者がどちらも正しそうに見えて、判断を保留するしかありませんでした。今は「この人はどちらの自由を前提に話しているのか」と一歩引いて聞けるので、議論のすれ違いがどこで起きているのかを自分なりに整理できます。SNSで激しくぶつかり合う意見を見ても、感情的に巻き込まれる前に、両者が違う土俵に立っていることに気づける。家族や友人と意見が食い違ったときも、相手を否定する前に「お互い別の自由を大事にしているだけかもしれない」と思えるようになり、無用な言い争いが減りました。言葉の奥にある前提を疑う癖がついたことで、世の中の喧噪との付き合い方が少し楽になったのです。
知らないままだと、言葉に振り回され続ける
この本に出会わなければ、私は「自由」や「民主主義」といった大きな言葉を、中身を問わずに受け取り続けていたはずです。著者の先崎彰容さんは日本大学危機管理学部教授で、倫理学・思想史を専門とする研究者です。東京大学で倫理学を学び、フランスの研究機関に留学して思想の系譜を丹念にたどってきた書き手だからこそ、私たちが無自覚に使う言葉の地層を掘り起こせるのだと感じました。聞き慣れた言葉ほど、その奥にある前提は問われないまま流通し、私たちはそれと知らずに振り回されていきます。同じ言葉で語り合っているはずなのに、なぜか分かり合えない。そんなもどかしさを抱えたまま、世の中の対立に疲れている。そういう方にこそ手に取ってほしい一冊です。