幕末の武士は、張り詰めた日々を送っていたと思っていた
幕末という言葉から、私はいつも緊張した空気を思い浮かべていました。黒船が来て、攘夷だ開国だと国が揺れ、武士たちは刀を握りしめて時代の荒波と向き合っていた。そんな張り詰めた群像劇として、あの時代をまるごと記憶していたのです。けれどその一枚絵には、どこか作りものめいた据わりの悪さもありました。本当に、誰もが歴史の重圧を背負って生きていたのか。名もなき大多数の武士は、いったいどんな顔で毎日を過ごしていたのか。田澤拓也さんの『江戸の名所 お上り武士が見た華の都』は、その問いに、一人の下級武士が残した日記を通して、思いがけない答えをくれました。
半年の赴任で、百十七回も遊びに出かけた侍
本書の主人公は、紀州和歌山藩の禄高三十石の下級武士・酒井伴四郎。万延元年、衣紋方という装束を整える役目で江戸へ単身赴任します。ところがこの勤め、日記に残る半年間で出仕はわずか四十七日ほど、しかも午前中の数時間で終わる日が大半でした。では空いた時間に彼が何をしていたかというと、上野や浅草や両国へと足しげく通い、滞在中に百十七回も外出していたと伝えられています。そばが大好きで、外食ではいつも二膳たいらげ、たいてい酒も添えていたという。愛宕山に登っては「江戸は三分の一しか見えないが、その広さは言葉にも筆にもならない」と感嘆を書き残したとも伝えられています。攘夷の嵐が吹くはずの幕末の江戸で、一人の侍は、ひたすら名所めぐりと食べ歩きに興じていたのです。本書ではさらに、彼が訪ねた寺社や盛り場、にぎわう吉原や両国、そして口にした料理の数々が、日記の記述に沿っていきいきと描かれています。歴史の大きな事件の陰で、こんなにのんびりとした日常が流れていたのかと、思わず頬がゆるむような場面が次々に出てきます。教科書には載らない幕末の素顔を、ぜひ本書で確かめてみてください。
歴史の中に、自分と同じ「ただの人」が見えてきた
この本を読む前、私にとって歴史上の人物は、どこか自分とは違う特別な存在でした。けれど読み終えたあと、休日にぶらぶらと食べ歩きをして、うまいそばに満足している伴四郎の姿が、現代の単身赴任者とまるで地続きに感じられたのです。神社仏閣を観光名所として訪ね、名物に舌鼓を打つ。その感覚は、百六十年前の侍も、今の私も少しも変わらない。出張先で名物を探して歩き、うまいものにありつけば一日が報われた気になる。あの伴四郎の満足が、自分の出張の記憶とぴたりと重なって見えたのです。歴史を「偉人と大事件の年表」ではなく、「自分と同じ人間が暮らした時間」として味わえるようになった。この感覚の転換は、古い町を歩くときの楽しみを何倍にも広げてくれました。
知らないままなら、私は幕末を硬い顔のままにしていた
この日記に出会わなければ、私は幕末を緊張一色の時代として誤解し続けていたはずです。著者の田澤拓也さんは、開高健賞や小学館ノンフィクション大賞の優秀賞を受けたノンフィクション作家で、一次史料から人間の素顔を掘り起こす書き手です。だからこそ、無名の下級武士の日記から、教科書が描かない時代の体温をすくい上げられるのだと感じました。あなたが思う幕末も、本当はもっとおおらかだったのかもしれません。そう感じた方にこそ、開いてほしい一冊です。