ヒーローは強くて正しい、それだけのものだと思っていた
子どもの頃から、ヒーローとは強くて、正しくて、最後には悪を倒してくれる存在だと信じてきました。映画やアニメを観るたびに胸が躍る一方で、大人になってからは、その「正しさ」がどこかまぶしすぎて、現実の自分とは無関係な物語のように感じることも増えていました。なぜ素直に楽しめないのだろうという小さな違和感を抱えたまま、私はスクリーンの前に座り続けていたのです。その引っかかりに名前を与えてくれたのが、英文学者の河野真太郎さんによる一冊でした。ヒーローという存在が、いつのまにか「強さ」だけでは立ちゆかなくなっている――その変化を丁寧に読み解いてくれます。
「世界を救う側」が、いつのまにか問い直される側になっていた
本書が光を当てるのは、二十一世紀に入ってからヒーロー像が静かに揺らいでいったという事実です。かつて世界を救う正義の象徴は、圧倒的な多数派――強い男性として描かれることがほとんどでした。けれど本書では、ジェンダー、加齢、障害、そして新自由主義といった視点が物語に入り込むことで、ヒーローたちが「多様性」とどう向き合うかを迫られている、と論じられます。たとえば、法の外側に立つアウトローのヒーローが、なぜ近年になって魅力的に描かれるのか。日本のヒーロー像が昔と今でどう変わったのか。著者は具体的な作品を一つひとつ俎上に載せながら、「ポスト真実の時代」に正義がどこへ向かうのかを探っていきます。日米のヒーロー像をまたいで論じられるため、ふだんアメコミ映画と国産アニメを別物として観ていた人ほど、両者をつなぐ補助線が引かれる感覚を味わえるはずです。本書にはさらに、フェミニズム以降に生まれた新しいヒーロー像についても踏み込んだ議論が展開されます。その続きは、ぜひ本書で確かめてみてください。
作品の「楽しみ方」そのものが変わった
この本を読む前の私は、映画を観て「面白かった」「主人公がかっこよかった」で終わっていました。読み終えた今は、ヒーローが何を背負わされ、誰の視点から「正しい」とされているのかを、自然と考えながら観るようになっています。先日も新作のアクション映画を観たとき、以前なら見過ごしていた脇役の描かれ方や、主人公が抱える孤独の意味に目が向き、終わったあとに家族と「あの正義は本当に正義だったのか」と語り合う時間が生まれました。同じ作品を観ても、隣に座る人とまったく違う「正義」を受け取っていたのだと気づき、その差異を話し合うこと自体が楽しくなりました。受け身で消費していた物語が、自分の頭で考える対話の素材へと変わったのです。
知らないままだと、物語の半分を見逃していた
この本を読まなければ、私はヒーローを「強い誰か」としてしか見られず、その奥にある時代の変化を見逃したままだったはずです。著者の河野真太郎さんは、専修大学国際コミュニケーション学部教授で、イギリス文学とカルチュラル・スタディーズを専門とし、『戦う姫、働く少女』などで知られる研究者です。ポップカルチャーを学問のまなざしで読み解いてきた著者だからこそ、見慣れた作品の中に潜む問いをすくい上げられるのだと感じます。いつも観ている映画やアニメを、もう一段深い解像度で味わいたい人に届く一冊です。