「北朝鮮について語ろうとすると、批判か擁護かの政治的立場を選ぶしかなく、人々の日常を見る余裕はない」とずっと思っていた
北朝鮮に関する議論は、たいてい二項対立の枠組みで進みます。「独裁体制を非難する」「制裁を強化すべき」という側か、「対話と理解を」という側か。そのどちらの立場を選んでも、北朝鮮で日々を生きている人々の表情・歩き方・市場の音——そういう生活の細部は議論から抜け落ちていく感覚がありました。北朝鮮を「政治の問題」としてだけ語ることに、もどかしさを抱えていました。
でも、政治的判断を留保したまま、北朝鮮の人々の日常をどう見ればよいのか——その方法を持っていないままでした。観光ツアーで案内される風景か、脱北者の証言か、政府発表か——既存の枠組み以外の眼差しがあるとは想像できないままでいました。
テッサ・モーリス-スズキ著・田代泰子訳『北朝鮮で考えたこと』を読んで、その「別の眼差し」の可能性が見えてきました。
1910年に満州・朝鮮を旅したイギリス人女性の足跡を、100年後に歴史家が再訪することで見えてくる風景がある
著者が本書で示す核心は、北朝鮮を「政治体制」としてだけでなく、「1910年に満州・朝鮮を旅したE・G・ケンプというイギリス人女性が見た風景の100年後の姿」として捉え直すという独特の方法論です。著者は無名の女性旅行者の紀行文を手がかりに、彼女が辿ったルートを現在の北朝鮮で再訪し、100年の時間軸の中で北東アジアの変容を読み解きます。
特に印象的なのは、政治的判断を急がず、目の前の風景と人々の様子を丁寧に記述するという姿勢です。市場で野菜を売る女性、街路樹の手入れをする労働者、子どもたちの校外学習の様子——これらの細部が、批判でも擁護でもない、第三の眼差しで描かれます。著者はオーストラリア国立大学の歴史家として、ケンプの旅と自分の旅を重ねることで、「100年前の植民地化の前夜にあった朝鮮」「冷戦下で分断された朝鮮半島」「現代の北朝鮮」を地続きの時間軸として捉える視野を提供します。イザベラ・バードの『朝鮮紀行』に比される歴史記録としての価値が評価される所以です。本書にはさらに、日本の朝鮮統治期の記憶・在日朝鮮人の帰国事業の影・北東アジアの100年史への思考が詳しく描かれています。ぜひ本書でその全貌を確かめてみてください。
「政治的立場の選択」を急がない読み方が獲得できた
読む前と後で、北朝鮮報道への向き合い方が変わりました。以前は北朝鮮のニュースに接するたび「批判すべきか、擁護すべきか、どう発言するか」を反射的に考えてしまっていました。でも今は、「まずそこに生きている人々の日常を想像することから始める」「100年の歴史的文脈の中に位置づけて見る」という別のアプローチを持てるようになりました。
具体的には、北朝鮮のミサイル発射ニュースを見るとき、軍事的脅威としての側面と並行して「あの地域で日々を送っている人々の生活はどうなっているのか」「日本の植民地統治期からの歴史的経緯はどう関わっているのか」という多層的な問いを立てるようになりました。政治を語るときに人間の日常が抜け落ちる傾向を意識し、両方を保持する読み方を訓練できる感覚があります。
英米圏を代表する日本研究者・オーストラリア国立大学名誉教授が、歴史家の眼で北朝鮮を見た
テッサ・モーリス-スズキはオーストラリア国立大学名誉教授として、日本近現代史・北東アジア研究・在日コリアン研究を専門に長年研究してきた歴史家です。『過去は死なない――メディア・記憶・歴史』『北朝鮮へのエクソダス』など、日本の植民地経験と戦後の北東アジアを問う著作を多数発表してきた著者だからこそ、本書では政治論争の枠組みを離れた、歴史家の眼差しによる北朝鮮像が成立しています。
この本を読まなければ、北朝鮮を「政治的立場の選択を強いる対象」としてだけ受け取ったまま、100年の歴史的文脈の中で人々の日常を見る歴史家の眼差しと向き合う機会を持てないままでいたでしょう。