最期は病院で迎えるのが当たり前だと思っていた
人はいずれ病院のベッドで、医師や看護師に囲まれ、できる限りの治療を受けながら旅立つもの。それが最も安全で、家族としても安心できる「正しい」最期だと、なんとなく信じていました。けれど、いざ親の介護や看取りが現実味を帯びてくると、どこか落ち着かない気持ちがわいてきます。延命とはいったい何のためなのか、本人は本当にそれを望んでいるのか、自分は何も知らないまま、後戻りのできない大事な選択を迫られるのではないか。口に出せずに抱えていたそのぼんやりとした不安を、たくきよしみつさんの『医者には絶対書けない幸せな死に方』が、はっきりと言葉にしてくれました。
看取り、お金、施設選び、誰も教えてくれなかった現実
本書が扱うのは、看取り医の選び方、死に場所、お金、認知症、施設の裏事情、お墓まで、私たちがいずれ必ず直面するのに、誰もまとめて教えてくれなかった具体的な論点です。著者は、家族を相次いで介護し看取った自らの体験を土台に、本人にとっても家族にとってもベストの選択とは何かを問い直します。印象的なのは、医師や病院と「正しくつき合う技術」という発想です。医療をただ受け身で受け取るのではなく、こちらが知識を持って関わることで、最期の時間の質そのものが変わる。たとえば、癌で死ぬという選択をどう受け止めるか、認知症になった親とどう向き合うかといった、目をそらしがちな主題にも、本書は具体的に踏み込みます。さらに、老後破産を避けるための経済の話や、死に場所としての施設を見極める方法まで、全十章にわたって、きれいごとでは済まない実践が展開されます。漠然と怖れていた「最期」が、あらかじめ準備できる一つの過程として見えてきます。
「いつか」を、今から考えられるようになった
読む前の私は、死について考えること自体を、縁起でもないと避けていました。親にも切り出せず、テレビでその手の話題が出るとチャンネルを変えるくらい、無意識に遠ざけていたのです。考えないようにすればするほど、心のどこかに正体のわからない重さが残り続けていました。読んだ後は、最期の過ごし方を、暗いタブーではなく前向きな段取りの問題として話せるようになりました。実家に帰ったとき、親がこの先どこでどう過ごしたいのかを、以前よりずっと自然に聞けるようになった。避け続けることでかえって膨らんでいた不安が、知って備えることで輪郭のある課題に変わり、残された時間を一日一日大切にしようという気持ちが、静かに強くなりました。
知らないままなら、後悔する選択をしていたかもしれない
この本を読まなければ、私はいざというとき何も知らないまま、ただ流されるように一つひとつの選択を重ねていたはずです。著者のたくきよしみつさんは、上智大学を卒業後、作家・音楽家として長年活動を続けながら、家族の介護と看取りを当事者として経験してきた書き手です。医療の専門家ではなく、現場で迷い悩み抜いた一人の生活者の視点だからこそ、医師の立場ではなかなか書きにくい現実や本音が、率直に綴られています。だからタイトルどおり、これは医者には絶対書けない一冊なのだと読み終えて納得しました。いつか必ず訪れるその時を、後悔の少ないものにするための備えになります。