「内田康夫の浅見光彦シリーズは、各地を旅して事件を解決する旅情ミステリで、社会派とは違う気軽な読み物だ」とずっと思っていた
浅見光彦シリーズといえば、ルポライターの若い探偵が日本各地を巡って事件を解決していく——その「ご当地ミステリ」のフォーマットで親しまれてきました。京都・信州・北海道・九州——舞台が変わるたびに地域の風物が描かれ、軽い旅情とともに楽しむ大衆ミステリという位置づけが頭にありました。社会派の重い問題提起や、長編史的構想とは別系統の作家だと感じていました。
でも、その同じ作者が「上下2巻」の大長編を書いたとき、なぜそうしたのか、その作品では何を問うていたのか——という問いを持つ機会はないままでした。シリーズの中の一冊として「長いミステリだろう」と素通りしてしまっていました。
内田康夫・中島千波画『はちまん』を読んで、その「素通り」がもったいなかったことに気づきました。
『はちまん』は浅見光彦が日本中の八幡宮を巡った老人の死を追う中で、戦後日本が失ったものを問う社会派長編だった
著者が本書で示す核心は、『はちまん』が単なる旅情ミステリではなく、生涯をかけて日本中の八幡宮を巡礼した飯島という老人の死を浅見光彦が追う中で、戦後日本社会が何を失ってきたかを問う、内田康夫の壮大な構想によって織り上げられた歴史小説的長編だという事実です。八幡信仰という日本古来の神道信仰の系譜、戦争を経験した世代が背負ってきたもの、戦後日本が経済成長と引き換えに置き去りにしてきた精神性——これらが事件の解決と並行して、物語の骨格として展開されます。
特に印象的なのは、ミステリの謎解きそのものよりも、被害者である老人がなぜ八幡宮を巡り続けたのかという問いの方が、作品の中心に据えられていることです。「日本中の八幡宮を巡る」という行為に込められた意味——戦中世代の祈り、戦死した同胞への鎮魂、戦後の日本への問いかけ——が、浅見光彦という戦後生まれの探偵を媒介に、現代の読者へと届けられます。日本画家・中島千波の挿絵が、この精神性を視覚的に補強する役割を果たしています。本書にはさらに、八幡信仰の歴史的展開と、戦後日本が見落としてきた地方の祈りの形が詳しく描かれています。ぜひ本書でその全貌を確かめてみてください。
「ご当地ミステリ」という枠で読むのがもったいない作家像に出会った
読む前と後で、内田康夫への向き合い方が変わりました。以前は「軽く読める旅情ミステリの量産作家」というイメージで作品を選んでいました。でも今は、「この作家には壮大な構想を仕込んだ長編がある」「ミステリの形を借りて社会論を展開する系譜がある」という認識のもと、シリーズの中での『はちまん』のような特別な位置づけの作品を読み逃さないようにしようと思うようになりました。
具体的には、神社・古い信仰・地方の祭祀——日常で素通りしていたものを、「戦後日本が置き去りにしたかもしれない精神性の手がかり」として観察する視点が生まれました。また、ベストセラー作家を「大衆向け」と一括りにしてしまう自分の読書習慣を反省し、同じ作家の中でも作品ごとに異なる射程があることに注意を向けるようになりました。
浅見光彦シリーズで国民的人気を博した内田康夫が、晩年に放った戦後日本論的大長編
内田康夫(1934-2018)はテレビCMディレクターから作家に転身し、浅見光彦シリーズで100作以上を著したベストセラー作家です。膨大な作品群の中で『はちまん』はとくに長大な構成で、戦後日本を見つめる作家の問題意識が結晶した一冊として位置づけられます。中島千波(1945年生まれ)は日本画家として桜・植物画で高く評価される画家で、本作の挿絵を担当し、八幡信仰の精神性を視覚的に表現しました。
この本を読まなければ、内田康夫を「ご当地ミステリの作家」として理解したまま、戦後日本論として書かれた大長編の射程と向き合う機会を持てないままでいたでしょう。