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新書嫁レビュー ・ 約 3 分

難解の代名詞ラカンが、たった五つの症例から立ち上がってくる

ラカンは、わかる人だけがわかる難解な思想だと思っていた

ジャック・ラカンという名前は、知の世界では一種の関門のように扱われてきました。鏡像段階、象徴界、対象a。専門用語が高い壁のように並び、原典を開いても一文ごとに行き止まる。私はずっと、ラカンとは選ばれた読み手だけが到達できる難解な思想で、自分には縁のないものだと思っていました。その思い込みを抱えたままだと、人間の心について語られた二十世紀最大の遺産のひとつが、ずっと自分の視界の外に置かれたままになります。どこか、心という一番身近なものについて大事な何かを取りこぼしている感覚が残るのです。松本卓也さんの『ジャック・ラカン フロイトへの回帰』は、その壁の向こうへ思いがけず連れて行ってくれました。

抽象論からではなく、生身の患者の物語から入っていく

この本が選んだ入口は、抽象的な概念ではありませんでした。フロイトが残した五つの臨床例、いわゆる五大症例から入っていくのです。ヒステリーに苦しんだ少女ドラ、確認をやめられない強迫神経症の鼠男、馬を恐れた幼い少年ハンス、誇大な妄想を体系化していった裁判官シュレーバー、そして幼少期のある光景にとらわれた狼男。本書では、ラカンが「フロイトに帰れ」と唱えながら、この一人ひとりの物語をどう読み直したのかが、症例に沿って具体的にたどられていきます。難解な理論が先にあるのではなく、苦しむ生身の人間がまず先にいて、その症状を理解しようとする中から概念が立ち上がってくる。そういう順序で読まされると、用語の手前にある切実さが見えてきます。フロイトとラカンがなぜそこに着目したのか、その必然がわかってくるのです。本書ではさらに、ラカンの読解がフロイト自身の解釈とどこで分かれていくのか、踏み込んだ議論も展開されています。続きはぜひ本書で確かめてみてください。

自分や周囲の人の心の動きに、解像度が宿った

この本を読む前と後で、日常の見え方が変わりました。たとえば、何度も鍵を確認してしまう人、ほめられても素直に受け取れない人、ある言葉にだけ過剰に反応してしまう自分。以前なら「神経質だな」「気にしすぎだ」で片づけていたそうした心の動きが、症状にはそれ自身の論理があるのだという視点で見えるようになったのです。理解できないと思っていた人の振る舞いに、ぼんやりとした筋道が通る。たとえば友人が同じ失敗をくり返すとき、以前は「学習しないな」と思っていたのが、そこには本人にも気づけない反復の力が働いているのかもしれない、と一歩立ち止まれるようになりました。心とは制御すべき機械ではなく、本人にも見えない言葉でできた構造なのだと腑に落ちる。難しい思想だと遠ざけていたものが、自分や身近な人を見るためのレンズに変わっていく感覚がありました。

知らないままなら、心の最も深い地層に触れずに終わっていた

この本に出会わなければ、私はラカンを「難しすぎる人」という棚に上げたまま、一度も手に取らなかったでしょう。著者の松本卓也さんは京都大学大学院人間・環境学研究科の准教授で、専攻は精神病理学。臨床と思想の両方を往き来してきた研究者だからこそ、概念の解説ではなく、苦しむ人の傍らに立つところからラカンを語ることができるのだと感じます。自分には縁がないと思っていた思想ほど、実は心の最も深い地層に触れる入口だった。そのことに気づかせてくれる一冊です。

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ジャック・ラカン──フロイトへの回帰 (岩波新書 新赤版 2097) 松本 卓也 / 岩波新書 新赤版

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