「大正デモクラシーは自由と民主主義が花開いた輝かしい時代であり、その精神は戦争期に軍部に踏みにじられた」とずっと思っていた
大正デモクラシーといえば、普通選挙や政党政治が実現し、労働運動や女性解放運動が芽吹き、文化的な豊かさが広がった時代——そういう理解をしていました。その後の軍国主義と戦争は、デモクラシーの精神が軍部の台頭によって外から破壊されたものだという感覚がありました。「もしあの流れが続いていれば」という惜しむ気持ちがどこかにありました。
でも、デモクラシーが花開いた同じ時代に植民地支配が深まり、米騒動や格差拡大が起きていたことを、どう整合的に理解すればよいか、うまく説明できないままでいました。デモクラシーの輝きと、その影に何があったのかの問いへの答えが見つからないままでいました。
成田龍一著『大正デモクラシー』を読んで、その問いへの答えが見えてきました。
デモクラシーは「与えられた自由」ではなく、民衆が作り出し、同時に排除を伴う「社会の運動」だった
著者が本書で示す核心は、大正デモクラシーを「政府や知識人が上から広めた民主主義」ではなく、「社会が主人公として動いた運動」として描くことで、その可能性と限界を同時に示すという視点です。1905年の日比谷焼き討ち事件から始まり、1918年の米騒動、普通選挙法成立、そして満州事変前夜に至る25年間を、都市民衆・女性・労働者・植民地の民衆という複数の「社会」を主体として描きます。
特に印象的なのは、「植民地の光景」という章が本書に置かれていることです。大正デモクラシーが民権や自由を語る一方で、朝鮮や台湾では植民地支配が深まっていました。日本国内のデモクラシーと、植民地における支配が同時並行で進んでいた——この事実を直視することで、「デモクラシーは誰のためのものだったのか」という問いが生まれます。モダニズムの輝きが大都市の一部に限られ、農村や植民地の現実を覆い隠していたという著者の指摘は、大正時代の像を根本から書き直すものです。本書にはさらに、恐慌下での既成政党の迷走と無産勢力の動きが詳しく描かれています。ぜひ本書でその全貌を確かめてみてください。
「デモクラシーが外から壊された」という物語から、「デモクラシーの内側に限界があった」という認識へ
読む前と後で、大正時代への向き合い方が変わりました。以前はデモクラシーの精神が軍部に踏みにじられたという「外から壊された」物語を前提にしていました。でも今は、「そのデモクラシー自体が何を排除していたのか」という問いを持って歴史を読むようになりました。
具体的には、普通選挙が実現したとき「誰に選挙権が与えられなかったか」を問うようになりました。女性・植民地の人々・貧困層——デモクラシーの恩恵が及ばなかった人々の存在を同時に見ることで、大正時代の「輝き」が一部の人々にとっての輝きだったという認識が生まれます。現代の民主主義についても、「誰が恩恵を受けていて、誰が排除されているのか」を問う眼が養われた感覚があります。
日本女子大学教授が「社会を主人公」にした新しい大正史を描いた
成田龍一(1951年大阪市生まれ)は早稲田大学大学院で文学博士(史学)を取得し、日本女子大学人間社会学部教授として日本近現代史を専攻した研究者です。都市・民衆・記憶という視点から近代日本史を問い直す著者が、大正デモクラシーの可能性と限界を「社会」という主体から描く本書は、政治史・文化史・社会史を横断する新しい大正史として位置づけられています。
この本を読まなければ、大正デモクラシーを輝かしい民主主義の時代として受け取ったまま、デモクラシーが同時に植民地支配と共存していたという問いと向き合う機会を持てないままでいたでしょう。