「大日本帝国憲法は、明治政府が上から国民に与えた憲法であり、民衆は受け取る側だった」とずっと思っていた
明治憲法といえば、伊藤博文たちがヨーロッパで学んで持ち帰り、天皇が国民に「欽定」した憲法——そういう理解をしていました。自由民権運動は「権利を要求した運動」として教科書に出てきますが、最終的には政府に押しつぶされて憲法発布に至ったという、政府主導の近代化の物語として受け取っていました。民衆は歴史の傍観者であり、憲法は上から降ってきたものという感覚がありました。
でも、自由民権運動がなぜあれほど全国的な広がりを見せたのか、明治政府がなぜ弾圧だけでなく「憲法制定の約束」を手放さなかったのかという問いへの答えを、うまく説明できないままでいました。
牧原憲夫著『民権と憲法』を読んで、その問いへの答えが見えてきました。
明治憲法は、政府・民権派・民衆の三極が激しく競り合った末に生まれた妥協の産物だった
著者が本書で示す核心は、明治憲法の成立が「政府の一方的な贈与」ではなく、政府・民権派・民衆という三極の対立と妥協の末に生まれたものだという事実です。西南戦争が終わった1877年以降、議会開設を求める声は全国の農村にまで広がり、地域の豪農層が中心となって「民権」を掲げた運動が組織されていきました。政府は弾圧を繰り返しながらも、民権運動の圧力を無視できずに「10年後に議会を開く」という約束を公表せざるを得ませんでした。
特に印象的なのは、民衆が自ら「憲法草案」を起草していたという事実です。政府が憲法を秘密裏に起草していた一方、各地の民権運動グループも独自の憲法案を作成しており、その数は数十にのぼりました。民衆が憲法という概念を自らのものとして議論していたこの時代の熱量は、「上から与えられた憲法」という物語が切り捨ててきた重要な歴史です。本書にはさらに、自由主義経済の浸透が民衆生活に与えた衝撃と、近代天皇制が成立するまでの過程が詳しく描かれています。ぜひ本書でその全貌を確かめてみてください。
「明治の近代化」が誰のためのものだったかを問い直せるようになった
読む前と後で、近代日本史への向き合い方が変わりました。以前は明治維新後の「近代化」を、政府が主導して民衆に恩恵をもたらしたものとして受け取っていました。でも今は、「その近代化は誰が求め、誰が抵抗し、誰が犠牲を払ったのか」という問いを立てるようになりました。
具体的には、学校制度の整備や家族制度の変容を見るとき、「近代化という名のもとに何が失われたか」という視点が生まれました。民権運動が掲げた「自由」と、明治政府が作り上げた「国家への奉仕」という二つの方向が、どのように折り合いをつけ、どちらが優位に立ったのかを問いながら歴史を読めるようになりました。現代の政治や社会の仕組みが「当然のもの」ではなく、激しい攻防の末に決まったものだという認識が、歴史を読む面白さを一段深めました。
東京経済大学で日本近代史を研究した著者が、三極対立という新視点で明治史を描いた
牧原憲夫(1943年東京都生まれ)は東京都立大学大学院博士課程で日本近代史を専攻し、東京経済大学で教えた研究者です。政府と民権派という二項対立ではなく、そこに「民衆」という第三の軸を加えて明治前期を描く本書の視点は、従来の明治史観に新鮮な問い直しを迫るものです。
この本を読まなければ、明治憲法を政府が上から与えたものとして受け取ったまま、全国の民衆が自ら憲法草案を起草し権利を求めて運動した歴史と向き合う機会を持てないままでいたでしょう。