「インターネットと国際交流が進めば、文化の差異は自然に縮まり相互理解が深まるはずだ」とずっと思っていた
グローバル化が進み、情報・人・モノが国境を超えて行き来する時代になれば、文化の違いへの無理解は自然に解消されていくと思っていました。海外旅行が普及し、SNSで世界中の人々とつながれるようになれば、「異文化」への距離は縮まるはずだという前提が自分の中にありました。「異文化理解」という言葉自体、すでに解決されつつある課題のように聞こえていました。
でも、国際ニュースを見るたびに文化・宗教・民族を巡る衝突が繰り返されていることに違和感がありました。接触が増えるほど理解が深まるはずなのに、なぜ摩擦も増えるのかという問いを、うまく言語化できないままでいました。
青木保著『異文化理解』を読んで、その逆説の正体がわかりました。
グローバル化は文化差異を縮めるのではなく、むしろ際立たせる
著者が本書で示す核心は、グローバル化の進展が文化の一元化をもたらすのではなく、逆に文化の差異を際立たせるという事実です。交流が増えれば増えるほど、「わかり合えない部分」「同じには見えない部分」が浮かび上がってくる——これが、接触の増大が必ずしも理解の深まりを生まないというパラドックスの正体です。ステレオタイプは接触の増大によって強化されることさえあります。
著者はバンコクでの僧としての修行体験など、文化人類学者として自身が深く文化に入り込んだ体験を通じて、「異文化を外側から観察する」ことと「異文化の論理で生きる」ことの根本的な違いを語ります。文化は情報として「知る」だけでは理解できない——身体を通じた体験と、相手の論理を内側から感じようとする姿勢があって初めて、何かが変わり始めます。本書にはさらに、異文化の警告が現代社会に何を示しているか、そして異文化との対話の具体的な姿が詳しく語られています。ぜひ本書でその全貌を確かめてみてください。
異文化と接するときの姿勢が根底から変わった
読む前と後で、外国の文化や人々に対する向き合い方が変わりました。以前は「海外の情報を知れば理解できる」という認識でいました。でも今は、「知ることと理解することは別だ」という感覚を持つようになりました。
具体的には、外国語のニュースや海外の映像コンテンツを見るとき、「これは表面的な情報であり、その背後にある論理はまだわかっていない」という自覚を持つようになりました。また、自分が無意識に持っているステレオタイプが、「知識として知っている」という錯覚によって固定化されていることに気づくようになりました。異文化の人と接するとき、「知っている」ではなく「わかりたい」という姿勢を持てるかどうかが、実際の関係の質を変えます。その姿勢の差が、どれほど大きな違いをもたらすかが、読後の日常の随所で感じられるようになりました。
文化庁長官も務めた文化人類学の第一人者が、グローバル時代の「理解」を問い直した
青木保(1938年生まれ)は東京大学・大阪大学教授を歴任し、文化庁長官として日本の文化政策を担ったほか、国立新美術館館長を務めた文化人類学の第一人者です。自らバンコクで僧修行に入るという深い現地体験を通じて「文化を内側から理解すること」を実践してきた著者が、グローバル化時代の異文化理解の本質を問い直した本書は、接触の拡大が必ずしも理解の深まりを生まないという逆説を、体験と理論の両面から語ります。
この本を読まなければ、グローバル化が文化差異を縮めると思ったまま、接触の増大がむしろ異文化の壁を際立たせるという現実と向き合う機会を持てないままでいたでしょう。