「広島・長崎の平和運動は、被爆の悲惨さを伝え続けることを目的とした国内向けの活動だ」とずっと思っていた
広島の平和運動といえば、被爆体験の証言を残し、原爆の悲惨さを次世代に語り伝える——そういうイメージがありました。感情に訴える大切な活動ではあるけれど、それは記憶の保存であって、現実の国際政治を動かす力とは別のものだと思っていました。核廃絶の訴えは道義的なものであり、現実の国際法や軍事政策に影響を与えるものではないと感じていました。
でも、毎年8月に広島市長が読む平和宣言が、形式的な慣例以上のものを持っているかどうかは、考えたことがありませんでした。一人の市長が核廃絶のために国際的にどれほど具体的な行動ができるのか——そのことへの想像力が、自分には欠けていました。
平岡敬著『希望のヒロシマ』を読んで、その欠如が問うべき問いだったとわかりました。
一人の市長が国際司法裁判所で核兵器の違法性を訴えた
本書が描くのは、被爆50周年の1995年、著者・平岡敬が広島市長として国際司法裁判所(ICJ)に赴き、核兵器の使用および威嚇が国際法違反であると政府補佐人として陳述した場面です。原爆がもたらした人間的悲惨の事実を、感情的な訴えとしてではなく、法的な論拠として国際舞台に持ち込んだ。その陳述は「核使用は一般的に国際法違反」という判断を導く一因となりました。
著者はかつて中国新聞の記者として取材する立場に立ち、市長として取材される立場にも立ちました。その両方の経験から生まれた複眼的な視点が、平和運動の意義と限界をともに見つめる誠実さを本書に与えています。本書にはさらに、アジアへの謝罪を明言した平和宣言、アメリカでの公開講演など、ヒロシマが抱える苦悩と希望が率直に語られています。ぜひ本書でその全貌を確かめてみてください。
「平和活動」への見方が変わった
読む前と後で、平和運動というものへの解像度が変わりました。以前は「悲惨さを伝える」「核廃絶を訴える」という言葉が、道義的な呼びかけとして心の中を通り過ぎるだけでした。でも今は、その訴えが具体的な法的闘争や外交戦略と結びついているときに、初めて国際政治の言語になるという視点を持てるようになりました。
具体的には、核兵器禁止条約や軍縮交渉のニュースを見るとき、「誰がどんな根拠でどの場で主張したか」という視点で読むようになりました。感情と事実と法的論拠を組み合わせることが、国際舞台での変化を生む。平岡市長のICJでの陳述は、ヒロシマという一都市の声が、人類の歴史に関わる法的問いに具体的に影響を与えた例でした。小さな行動が積み重なって国際法が変わる——そのことへの実感が生まれました。
記者と市長の両方の経験を持つ人物が、ヒロシマの希望と苦悩を語った
平岡敬(1927年生まれ)は早稲田大学文学部卒後、中国新聞社で記者・編集局長を歴任し、1991年から1999年まで広島市長を2期務めました。ジャーナリストとして取材者の側に立ち、市長として発信者の側に立った稀な経験を持つ著者の言葉は、平和活動の内側からの証言として固有の重みを持っています。
この本を読まなければ、広島の平和運動を「記憶を守る内向きな活動」として遠くから眺め続け、一人の市長が国際法の言語で核廃絶を戦った現実を知らないまま過ごしていたでしょう。