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新書嫁レビュー ・ 約 3 分

「日本人としての私」を誇りに語れると思っていたのに、その土台がずっと揺れていた

「日本の文化や伝統は誇るべきものであり、日本人であることは明確な拠り所だ」とずっと思っていた

日本人であることを誇りに思い、日本の美意識や伝統文化は世界に誇れる確かなものだという感覚がありました。外の世界と比べたとき、日本には独自の芸術、作法、精神性があり、そこに「日本人らしさ」という揺るがない軸があると信じていました。日本文化はアイデンティティの確かな根拠だと思っていたのです。

でも、近代化以降の日本が西洋と東洋の間で何を選び取ってきたのかを問われると、はっきりと答えられない自分に気づきました。「美しい日本」という言葉は心地よく響くけれど、その美しさが何を犠牲にして成り立ってきたのかは、考えたことがありませんでした。その問いを正面から受け取れずにいました。

大江健三郎著『あいまいな日本の私』を読んで、その問いを避け続けていたことがわかりました。

日本は「あいまいさ」という二極の引き裂かれに生きてきた

本書の核心は、1994年のノーベル文学賞受賞記念講演「あいまいな日本の私」です。大江は、川端康成の「美しい日本の私」という講演を踏まえた上で、自分には「美しい日本」という言葉は使えないと語ります。明治以来120年の近代化を経た日本は、根本的に「あいまいさ(アムビギュイティー)」の二極に引き裂かれている——近代化によって西洋的な価値観を取り込みながら、アジアの一員としての本来の文化的紐帯から離れてきた、その裂け目が日本の本質にあると著者は見ます。

大江が本書で示す「ユマニズム(人間主義)」という視点は、文学が個人の痛苦と社会の傷を癒す役割を持つという信念です。言葉で表現する者と受け取る者が、ともに傷から回復していく——その営みこそが文学の本質だと語ります。本書にはさらに、日米の文化関係や世界文学の可能性についての講演が収録されています。ぜひ本書でその全貌を確かめてみてください。

「日本人であること」の見方が変わった

読む前と後で、自分のアイデンティティへの問い方が変わりました。以前は「日本人らしさ」を確かなものとして受け取り、それに疑問を差し込む必要を感じていませんでした。でも今は、「あいまいさ」こそが日本の誠実な自己認識であると感じるようになりました。

具体的には、外国の人と文化について話すとき、「日本はこういう国だ」と断言することへの違和感が生まれました。日本の近代は西洋と東洋の間で選択を繰り返してきた歴史であり、そのどちらにも完全には属さない「あいだ」に立っている——そのことを認めることが、より誠実な自己紹介になると感じるようになりました。曖昧さを弱さとして隠すのではなく、複雑さの正直な表れとして引き受けることが、他者への理解にも通じると気づきました。

1994年ノーベル文学賞作家が、日本の根本に問いを立てた

大江健三郎(1935-2023)は愛媛県出身の小説家で、『飼育』で芥川賞を受賞し、『万延元年のフットボール』など戦後日本文学を代表する作品を著しました。1994年にノーベル文学賞を受賞し、日本語という言語で書かれた文学が世界文学たりうることを体現した作家です。本書は講演録でありながら、文学と社会、個人と国家、アジアと近代というテーマを深く問い続けた大江の思想の凝縮です。

この本を読まなければ、「日本人であること」を誇りとして語りながら、その土台にある引き裂かれと複雑さを見ないまま過ごし続けていたでしょう。

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あいまいな日本の私 (岩波新書 新赤版 375) 大江 健三郎 / 岩波新書 新赤版

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