「死について考えることは縁起が悪い、できれば避けるべきだ」とずっと思っていた
死はできるだけ意識しないようにして、目の前の生活に集中するべきだと思っていました。「縁起でもない」という感覚が日本文化に根づいているように、死を話題にすることは暗く、不吉で、日常に持ち込むべきではないもの——そういう前提が自分の中にありました。だから医療ドラマで死の場面が出ると目を逸らし、葬儀の話が出ると「まだそういうことを考える年齢ではない」と笑って流していました。
でも、考えないようにしているはずの死への怖れが、ふとした瞬間に顔を出すことがありました。大切な人が老いていく姿を見るとき、自分の体に何か異変があったとき、夜中に眠れないとき。それを無理に押しのけ続けることに、どこかくたびれていました。押し込めるほどに、返ってくるときの衝撃が大きくなる感覚があったのです。
永六輔著『大往生』を読んで、その疲れの原因がわかりました。
死を気軽に語り合うことが、かえって今の生を輝かせる
本書が示すのは、深刻ぶらずに老い・病い・死を語り合うという姿勢です。著者が各地で集めてきた無名の人々の言葉が、ユーモアと本音で溢れています。「ピンピンコロリという死に方が理想だ」「長患いはしたくない」「好きな人に看取られたい」——身近な人たちがどんな死を望んでいるかを語り合うことは、タブーではなく、人間として当然の営みだと著者は言います。
「死への確かなまなざしが、生の尊さを照らし出す」という著者の視点は、死を忌避する文化とは真逆の発想です。本書に登場する人々は、死について率直に語りながら、それによって今この瞬間を大切にしていました。本書にはさらに、著者自身が書いた「自分自身のための弔辞」が収録されており、死を自分ごととして引き受けた著者の姿勢が示されます。ぜひ本書でその全貌を確かめてみてください。
老いた親との会話が、以前と変わった
読む前と後で、家族との話し方が変わりました。以前は「縁起でもない話」として避けていた、老後・介護・葬儀の話が、自然に口にできるようになりました。
具体的には、高齢の親と話すとき、「どんな最期を迎えたいか」という問いを、暗くなりすぎずに投げかけられるようになりました。最初はぎこちなかったその会話が、少しずつ深みを持ち始めました。どんな葬儀がいいか、何を後世に残したいか——それを話すことは「死の準備」ではなく、「今をどう生きるか」の確認でした。著者が自分への弔辞を書いたという話は、死を自分の物語に組み込む勇気として伝わりました。死を「まだ先の話」として棚上げしているうちは、今の生き方への問いも棚上げされたままだと感じるようになりました。
「上を向いて歩こう」の作詞家が、245万部で日本に問いかけた
永六輔(1933-2016)は「上を向いて歩こう」「こんにちは赤ちゃん」などの作詞で知られる放送作家・作詞家で、テレビやラジオを通じて長年庶民の声と向き合ってきた人物です。専門家でも哲学者でもない著者の言葉だからこそ、難しい死生観ではなく、生活の場から届くリアルな問いかけとして読者の心に届きます。本書は1994年の刊行から245万部のベストセラーになり、日本社会に「死を語ることの大切さ」を届けた一冊として今も読み継がれています。
この本を読まなければ、死を押しのけることで今の生をどこかぼやかしたまま、日々を過ごし続けていたでしょう。