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新書嫁レビュー ・ 約 3 分

GDPが世界一でも「豊かさの実感がない」——その理由を1989年に言い当てた本がある

「豊かな国=GDPの高い国」だとずっと疑わずにいた

GDPが高ければ豊かな国、低ければ貧しい国——経済の豊かさはそういうものだと思っていました。日本が「経済大国」と呼ばれていた時代、それは誇りとして語られ、生活水準の高さの証拠として提示されてきました。「日本は豊かだ」という前提のもとで、その豊かさを感じられない自分の方が何か問題なのかと思っていたくらいです。

でも、長時間働いても将来が不安で、子育ては競争になり、余暇を取ることに罪悪感が伴う——そんな生活を「豊か」と呼べるのかという感覚が、どこかにずっとありました。数字は豊かさを示しているのに、実感がついてこない。その乖離の理由が、うまく言葉にならないまま過ごしていました。

暉峻淑子著『豊かさとは何か』を読んで、その問いに正面から答えをもらいました。

日本は「ゆとりをいけにえにした豊かさ」を選んでいた

本書のタイトルともなっている核心の問いに、著者は西ドイツでの在住体験を通じて答えます。同じ先進国でも、ドイツでは夕方になれば商店が閉まり、日曜は家族と過ごし、長い休暇を当然の権利として取る。日本との対比において、著者が気づかせてくれるのは「豊かさのために何かを犠牲にしているか、それとも豊かさが人生を豊かにしているか」という問いです。

著者がつけた章のタイトル「ゆとりをいけにえにした豊かさ」という言葉が、日本の状況を鋭く切り取っています。経済成長のために時間とゆとりを差し出し続けてきた結果として、世界一の金持ち国に住みながら「豊かさの実感がない」という逆説が生まれた。1989年に書かれたこの指摘は、現代の日本にもそのまま当てはまります。本書にはさらに、過労死、受験競争、老後の不安など、豊かさの裏側に蓄積してきた問題を鋭く分析する章が続きます。ぜひ本書でその全貌を確かめてみてください。

「豊かさ」を問い直すことで、日常の選択が変わった

読む前と後で、仕事と時間に対する考え方が変わりました。以前は「もっと働けばもっと豊かになれる」という感覚で動いていました。でも今は、時間のゆとりそのものが豊かさの一形態だという見方が先に立つようになりました。

具体的には、残業を当たり前とする文化に疑問を持ち、休暇を取ることを「怠惰」ではなく「豊かさを取り戻す行為」として捉えるようになりました。夕方に仕事を切り上げて家族と食事をすることが、GDPには貢献しないけれど生活の豊かさには直結する。著者が西ドイツで見た光景は、「豊かさとは何か」という問いへの一つの答えでした。その答えを日常に照らし合わせることで、自分の時間の使い方への問いが具体性を持ち始め、何かを犠牲にして何かを得るという選択を、より意識的にするようになりました。人生の質は数字では測れない、という感覚が腑に落ちた瞬間がありました。

「豊かさの実感がない」という感覚を、30年前に言語化した人がいた

暉峻淑子(1928-)は、埼玉大学名誉教授で生活経済学を専門とする研究者です。長年にわたってドイツの生活様式と日本社会を比較研究し、経済成長と生活の質の乖離を問い続けてきました。本書は1989年に刊行され、バブル景気の絶頂期に「豊かさとは何か」を問い直す一石を投じた著作として、今も読み継がれています。著者が本書で問いかけたことは、現代においてもまったく古びていません。

この本を読まなければ、「豊かさの実感がない」という感覚を、自分の感受性の問題だと片付け続けていたでしょう。

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豊かさとは何か (岩波新書 新赤版 85) 暉峻 淑子 / 岩波新書 新赤版

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