「日本語は文法がなくてあいまいな言語だ」という思い込みがあった
外国語を学ぶようになってから、日本語をどこか劣ったものとして見る癖がついていました。英語には明確な主語と動詞があり、論理的に構造化されている。それに比べると日本語は省略が多く、文法も複雑で、外国人には理解しにくい非論理的な言語だという印象を漠然と持ち続けていました。
でも、その前提を持ったまま外国人が日本語を使う場面を見ていると、どこかしっくりこないことがありました。なぜ日本語学習者はあれほど日本語の細かいニュアンスに感動するのか。なぜ「あいまいな言語」のはずなのに、俳句という超短詩形が世界に広まっているのか。その矛盾が説明できないままでいました。
金田一春彦著『日本語 新版(上)』を読んで、その矛盾の正体がわかりました。
日本語は「あいまい」なのではなく、「文脈の情報量が多い」言語だった
金田一春彦が本書で示す日本語論の核心は、日本語の省略や曖昧さは「欠如」ではなく「設計上の特徴」だということです。日本語は発音・語彙・表記法・文法のあらゆる面で、外国語と比較したとき独自の洗練を持っています。
例えば、日本語のアクセントは英語と異なり「高低アクセント」であり、「強弱アクセント」ではありません。これは音楽的な言語特性であり、俳句や和歌がリズムを持つ理由と深くつながっています。また日本語は複合語を非常に容易に作ることができる言語であり、新しい概念を表す言葉が短期間に社会に定着しやすいという利点もあります。本書の上巻では発音・音声・語彙の特徴が丁寧に解かれており、下巻へのつながりも明快です。ぜひ本書でその解説を確かめてみてください。
「日本語が話せる」の意味が変わった
読む前と後で、自分が話している日本語への意識が変わりました。以前は日本語を「当たり前にできること」として意識せずに使っていました。でも今は、自分が何気なく使っている文末表現の微妙な変化が、相手との関係性や場の雰囲気をどう変えているかを意識するようになりました。
「はい」と「ええ」と「うん」と「そうですね」は同じ肯定でも全く異なる文脈を運ぶ。その違いを意識せずに使いこなしている日本語話者は、実は極めて精密な言語運用をしているのです。その事実が腑に落ちると、日本語を「劣っている」と感じていた感覚が消えました。
「日本語はあいまいだ」という思い込みで、自分の言語の豊かさを見落としていた
金田一春彦(1913-2004)は日本語音韻論の第一人者で、方言アクセント研究や国語辞典の編纂で知られる言語学者です。複数の国語辞典の編者を務めた権威が、日本語の面白さ・すばらしさ・欠点を具体的に解明したこの新版は、1988年に岩波新書新赤版第2号として刊行されました。
「日本語はあいまいで非論理的だ」という外来的な評価を内面化したまま過ごしていたら、自分の母語の精密さに気づけませんでした。