「文学とは美しい言葉を並べることだ」と思い込んでいた
小説や詩を読むとき、ずっとこう思っていました。文学とは美しい言葉で感情を表現するものであり、うまい文章を書く才能のある人だけが生み出せる世界だと。だから「文学を書く」ということは自分にとって縁遠いことであり、「文学を読む」こともどこか受け身の行為として捉えていました。
でも、その理解を持ったまま文学に接していると、どこかしっくりこないことがありました。「美しい」はずの文章を読んでも何も動かない。逆に、荒削りで奇妙な言葉遣いの作品が胸に刺さる。その矛盾が説明できないままでいました。
大江健三郎著『新しい文学のために』を読んで、その矛盾が解消されました。
文学の核心にある「異化」という概念
本書で大江が提示する中心概念は「異化」です。これはロシア・フォルマリズムが打ち立てた概念で、日常の言語が繰り返し使われることで意味の輝きを失い、「ほこり」にまみれていく——その汚れを洗い落として、言葉を新しくすることが文学の本質的な仕事だというものです。
大江はこう述べます。「ありふれた、日常的な言葉の汚れ・クタビレをいかに洗い流し、仕立てなおして、その言葉を新しくすること、すなわちそれが、言葉を異化することである」と。この一文を読んだとき、なぜあの荒削りな文章が心に刺さったかがわかりました。言葉の鮮度を取り戻すことこそが、文学の力の源泉だったのです。
本書にはさらに、バフチンのカーニバル論、ユング心理学における女性像、そして「道化」の概念を通じて、文学がいかに人間の想像力を解放するかが論じられています。ぜひ本書でその全体を確かめてみてください。
日常の言葉を「使い古していないか」と問うようになった
読む前と後で、言葉との関わり方が変わりました。普段会話で使う言葉が、いかに意味を失った状態で流通しているかを意識するようになりました。「なるほど」「わかりました」「大変でしたね」——こういう言葉がどれほど多くの人に何も伝えていないか。
逆に、使い慣れた言葉を少しずらすだけで、相手の表情が変わる瞬間があります。「異化」とは特殊な文学的技術ではなく、日常会話の中でも起きていることだと気づいたとき、言葉への向き合い方が変わりました。文学は特別な才能の人だけのものではなく、言葉を意識的に扱おうとする人なら誰でも関われるものだという感覚が生まれました。
「文学は美しい言葉だ」という前提を持ったまま、文学の本質を見落としていた
大江健三郎(1935-2023)はノーベル文学賞を受賞した日本を代表する小説家であり、本書はその大江が「これから文学を読み、あるいは書こうとする若い人のための文学入門」として書いた一冊です。1988年に岩波新書新赤版の第1号として刊行された本書は、文学を通じて人間の想像力を解放するための知的な道案内です。
「文学は美しい言葉だ」という思い込みを持ったまま過ごしていたら、言葉が持つ本当の力に近づけませんでした。