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新書嫁レビュー ・ 約 3 分

「女形は女のまねをする芸だ」という思い込みを昭和の名優が崩した

歌舞伎の女形は「女のまねをする芸」だと思い込んでいた

歌舞伎の女形について、長い間こう思っていました。男性が女性を演じる特殊な芸であり、本物の女性の動作を模倣することが目的なのだと。見た目の華やかさはあっても、それは一種の仮装に近いものだという先入観がありました。だから歌舞伎に興味はあっても、女形の芸の何が凄いのかが、よくわかっていませんでした。

その思い込みを持ったまま舞台の写真や映像を眺めていても、どこかしっくりこない感覚がありました。あれほど多くの人が熱狂するのに、その凄さが自分には見えていない。何かを見落としているという感覚が積み重なっていました。そのもどかしさを抱えたまま、歌舞伎の本質から遠いところにいる自分を感じていました。

中村歌右衛門、山川静夫著『歌右衛門の六十年』を読んで、その「見落とし」の正体がわかりました。

女形は「女に見せる技術」ではなく、「女を超えた女を体現する芸」

本書は六代目中村歌右衛門が、NHKアナウンサー山川静夫を聞き手として自身の六十年を語った一冊です。大正末期の初舞台から、戦中・戦後の歌舞伎界の激動、そして昭和後期の隆盛まで、昭和歌舞伎の生き証人として語られる言葉の重みは格別です。

六代目歌右衛門は「女形一筋に生き、華麗で情艶な芸風によって昭和歌舞伎を現在の隆盛に導いた」と評される人物です。彼が語る女形の芸とは、現実の女性を真似ることではありません。舞台の上に存在し得る「理想の女性」を体現することであり、そのためには男性だからこそ持てる視点と感覚が必要なのだという言葉は、女形という芸の本質を全く別の場所に見せてくれます。

本書にはさらに、父である五世歌右衛門や初世吉右衛門ら名優たちとの交流、そして戦時中に芸を守り抜いた時代の記憶が生き生きと描かれています。昭和歌舞伎の舞台裏と、芸の継承をめぐる深い話は、ぜひ本書で確かめてみてください。

「芸」を見る目が変わると、日常の「うまさ」の受け取り方も変わった

読む前と後で、「技術」という言葉の意味が変わりました。本物の芸とは、自然に見えることへの膨大な努力の積み重ねです。女形が舞台で「女性らしく」動くとき、そこには現実の女性が意識せずにしていることを、意識的に選択し体得するという逆説的な過程があります。

その逆説は、他の分野にも通じます。料理人が「自然な味」を出すとき、演奏家が「歌うように弾く」とき、その背後に何があるかを今は想像できるようになりました。日常の中で「さりげなく見えるもの」への眼差しが変わると、世界の質感が少し変わります。歌舞伎を見たことがない人が本書を読んでも、「芸とは何か」という問いへの答えが変わる体験があります。

「女形」の凄さが見えないまま、昭和の精神史の核心を見落としていた

六代目中村歌右衛門(1917-2001)は人間国宝に認定され、没後には国民栄誉賞が贈られた昭和を代表する歌舞伎俳優です。ドナルド・キーンも彼の芸を高く評価し、その存在を記録に残しています。そのような人物が自ら語った六十年の記録は、芸能史としてだけでなく、日本人の美意識と芸の本質を探る一冊として今も色あせていません。

「女形とは仮装だ」という思い込みを持ったまま過ごしていたら、この六十年の言葉の重みには近づけませんでした。

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歌右衛門の六十年: ひとつの昭和歌舞伎史 (岩波新書 黄版 328) 中村 歌右衛門, 山川 静夫 / 岩波新書 黄版

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