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新書嫁レビュー ・ 約 3 分

「日本には政府ありて国民なし」——150年前の診断が今も刺さる理由

「明治維新は日本を近代国家にした」という前提を疑ったことがなかった

明治維新は封建社会を終わらせ、日本を近代的な国民国家に変えた——学校でそう教わり、ずっとそう信じていました。「国民」が生まれた瞬間が明治維新だという理解を、何の疑問も持たずに受け入れていました。でもその前提を持ったまま歴史を見続けると、どこかしっくりこないことがあります。「国民」と言いながら、なぜ政治が自分のこととして感じられないのか。選挙に行っても何かが遠い感覚が残るのはなぜか。その距離感の正体が、長い間わかりませんでした。

丸山真男著『「文明論之概略」を読む 下』を読んで、その距離感が150年前から続いているものだということがわかりました。

「日本には政府ありて国民なし」——福澤の言葉の重さ

本書の下巻が到達する核心は、福澤諭吉の第十章「自国の独立を論ず」にあります。そこで福澤が発した言葉が、「日本には政府ありて国民(ネーション)なし」です。

明治維新が成し遂げたのは政府の近代化でした。しかし福澤が求めたのは、政府の変革だけでなく、人民一人ひとりが自分の問題として国家を担う「国民」としての意識の形成でした。その形成なしに、日本の本当の独立はあり得ない——1875年にそう書いた福澤の診断は、丸山真男が本書を書いた1980年代においても、そして今もなお有効だと読み終えて感じます。

下巻では、西洋文明の歴史と日本文明の由来を対比しながら、なぜ日本に「国民」が育ちにくかったかを丁寧に論じています。ヨーロッパでは宗教改革と市民革命が人々を「主体」として立ち上がらせる歴史的経験をもたらした。しかし日本にはそれに対応する経験が乏しかったと福澤は見ていました。本書にはさらに、そのギャップを埋めるために何が必要かという福澤の処方箋と、丸山が読み取ったその現代的意義が展開されています。ぜひ本書でその論考を追ってみてください。

「政治は遠いもの」という感覚の根がわかった

読む前と後で、自分が政治を「他人事」として感じてきた理由への理解が変わりました。それは個人的な無関心の問題ではなく、日本社会の構造的な問題として150年前から続いているものだと気づいたのです。

「政府ありて国民なし」という状態では、人々は指示を受ける対象として存在し、自分で問いを立てる主体として育ちにくい。学校でも職場でも、疑問を持つより従うことが推奨される文化の根は、ここにあるのかもしれません。

その認識が変わると、日常の「沈黙」の意味が変わります。会議で誰も反対しない、上の決定に黙って従う、そういう場面を「秩序」として見るのではなく、「国民」としての主体性が問われている場面として受け取るようになりました。問いを立てることが、市民として生きることの最初の一歩なのだという感覚が、以前より鮮明になりました。

「明治で日本は変わった」という前提の先を、この本が見せてくれた

丸山真男(1914-1996)は東京大学法学部教授・名誉教授として、戦後日本の政治思想研究を代表した知識人です。福澤諭吉研究に晩年の全力を注いだ丸山が、三巻かけて一冊の古典を読み解いた本書は、日本の知識人が遺した最も誠実な古典読解の一つです。

「明治で日本は変わった」という前提を持ったまま生きていたら、今の自分の在り方の根がどこにあるかを問えませんでした。

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文明論之概略を読む 下 (岩波新書 黄版 327) 丸山 真男 / 岩波新書 黄版

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