「社会」「個人」は古くからある日本の言葉だと思っていた
ずっと「社会」「個人」「自然」「権利」「自由」といった言葉は、日本語に古くから存在した概念だと思っていました。これらは現代人が日常的に使う言葉であり、それ以前の日本人も同じような意味で使っていたはずだという漠然とした前提がありました。しかしその前提では、なぜ明治以前の文章には「社会」という言葉がほとんど登場しないのか、江戸時代の人が「個人の権利」という概念をどう理解していたのかが、どこかしっくりきませんでした。
その謎を解き明かしてくれたのが、柳父章著『翻訳語成立事情』でした。
「society」を「社会」と訳した瞬間に、概念が生まれた
本書で柳父章が明らかにするのは、「社会」「個人」「近代」「美」「恋愛」「存在」「自然」「権利」「自由」「彼・彼女」といった言葉が、幕末・明治期に西洋語の翻訳として生まれた「造語」または「意味の塗り替え」によるものだということです。「society」を「社会」と訳したとき、その言葉が指す概念はまだ日本には存在しませんでした。読者は意味がわからないまま「何か重要なことを指しているはずだ」と感じ、その空洞のまま使い続けた——著者はこれを「カセット効果」と呼びます。
宝石箱(カセット)は中身が見えなくてもそれ自体が美しく価値があるように、翻訳語も意味が不透明なまま「高級な概念」として流通した。この指摘は、私たちが毎日何気なく使っている言葉が、実は深い翻訳の歴史の産物であることを教えてくれます。本書にはさらに、「自由」という言葉がどれほど揺れながら定着していったかの詳細な分析も含まれており、ぜひ本書で確かめてみてください。
日常の言葉が「翻訳語」に見えてきた
この本を読んでから、日常会話の中で「社会」「個人」「権利」という言葉を使うたびに、「この言葉はいつ、どのように日本語になったのか」という問いが浮かぶようになりました。以前は当たり前に使っていた言葉が、明治の知識人たちが必死に意味を模索しながら生み出した「翻訳の痕跡」であることがわかると、言語という営みの深さが実感されます。
翻訳という行為が思想を作る
柳父章は翻訳論・言語哲学の領域で独自の研究を展開し、「翻訳語」の問題を日本文化論の核心として位置づけた思想家です。「社会や個人は昔からある日本語」という思い込みを持ったまま生きていたら、私たちが毎日使う言葉の中に刻み込まれた明治の格闘は、今も見えないままでした。