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新書嫁レビュー ・ 約 2 分

「標準語は自然に生まれた」という思い込みがあった

標準語は自然に発達した共通の言葉だと思っていた

ずっと標準語というのは、多くの人々が自然にコミュニケーションを取る中で生まれた「共通の言葉」だと思っていました。方言は地域ごとの個性であり、標準語はそれらを超えた「中立的な言語」だという漠然としたイメージがありました。しかしその考えでは、なぜ日本全国の学校で「正しい日本語」が教えられ、方言話者が時として肩身の狭い思いをするのかが、どこかしっくりきませんでした。そのしっくりこなさの正体を解き明かしてくれたのが、田中克彦著『ことばと国家』でした。

標準語は「国家が作り上げた人工物」だった

田中克彦が本書で明らかにするのは、標準語・国家語が自然に生まれたものではなく、国家という権力によって意図的に構築された「制度的産物」であるという事実です。フランス革命期には、パリ語を「フランス語」として全国に普及させ、地方語を「反革命の言語」として弾圧する政策が明確に実施されていました。近代国家の成立とともに、「一つの国家・一つの言語」という原則が、言語の多様性を政治的に切り捨てる論理として機能したのです。

本書はさらに、国家を持たない人々の言語——ユダヤ人のイディシュ語、植民地住民のピジン語・クレオール語——が、「雑種言語」として蔑まれながらも、いかに生き延びてきたかを描きます。言語の「正しさ」や「純粋さ」は、実は国家の威信による判断であることが浮かび上がります。ぜひ本書で確かめてみてください。

「正しい日本語」という概念が揺らいだ

この本を読んでから、「正しい日本語」という言葉を聞くたびに、「誰にとっての正しさか」という問いが自然に浮かぶようになりました。以前は方言や外来語の混じった話し方を、どこか「崩れた日本語」として受け取っていましたが、今は「それもまた生きた言語の姿」として見えるようになりました。言語についての見方が変わると、多様性や少数者について考えるときの問いの立て方まで変わりました。

言語社会学の視点が常識を崩す

田中克彦は一橋大学名誉教授として長年言語社会学・言語学を研究し、エスペラントや少数言語の権利についても精力的に発言してきた学者です。「標準語は自然に生まれた」という思い込みを持ったまま生きていたら、言語と権力の深い結びつきは、今も見えなかったと思います。

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ことばと国家 (岩波新書 黄版 175) 田中 克彦 / 岩波新書 黄版

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