物理学の歴史は「偉大な発見の連続」だと思っていた
ずっと物理学の歴史というのは、天才たちが次々と正しい理論を発見し、それが積み上がって今の科学ができているというイメージを持っていました。ニュートンが万有引力を発見し、アインシュタインが相対性理論を打ち立て、それぞれが前の理論を乗り越えていった——そんな「科学の進歩の物語」として捉えていたのです。しかしその図式では、「なぜ物理学者たちはあれほど悩み続けたのか」という問いに、どこかしっくりとした答えが出ませんでした。
その問いへの答えをくれたのが、朝永振一郎著『物理学とは何だろうか』(上巻)でした。
物理学は「目に見えないものを信じることから始まった」
本書で朝永が特に力を入れて描くのは、熱力学の時代です。19世紀の物理学者たちが熱の正体を探る中で、「原子」という概念に行き着いたとき、そこには重大な認識論的挑戦がありました。原子は目に見えない。証明もできない。しかしその仮説なしには熱現象を説明できない——この緊張の中で物理学は新しい段階へと踏み出したのです。
本書は16世紀から現代まで、優れた頭脳の中に芽生えた物理学的思考の原型を探り、その曲折と飛躍の道筋を明らかにしていきます。ガリレオが傾斜した平面で球を転がした実験から、カルノーが熱機関の効率を考え抜いた過程まで。「科学者はなぜそこまで考えたのか」という問いに、本書は丁寧に答えていきます。下巻ではさらに量子力学の誕生をめぐる思考の格闘が描かれており、ぜひ本書で確かめてみてください。
「物理学の問い」が日常に降りてきた
この本を読んでから、「なぜそう考えたのか」を問う習慣が生まれました。以前は物理の公式を「正しいもの」として受け取っていましたが、今はその背後にある「誰かがあるとき、なぜそれを疑ったか」という問いが浮かぶようになりました。ニュートンの法則でさえ、誰かの「これでいいのか」という疑念から生まれたと思うと、日常の「これで合っているのかな」という感覚が、科学の出発点と同じものだということが腑に落ちました。
ノーベル賞物理学者が語る「物理学の精神」
朝永振一郎は量子電気力学の分野で「くりこみ理論」を打ち立て、1965年にノーベル物理学賞を受賞した理論物理学者です。晩年の講演をもとに書かれた本書には、専門的な数式が含まれながらも、物理学の精神が生き生きと伝わる筆致があります。「物理学の歴史は偉大な発見の連続」という思い込みを持ったまま読んでいたら、科学者たちの本当の格闘は、今も見えないままでした。