微分積分は「覚えるもの」だと思っていた
高校の数学で微分積分を習ったとき、それは「公式とルールを覚えて問題を解く作業」でした。x^nをnx^(n-1)にする——なぜそうなるかは「そういう規則だから」、それ以上考えなかった。試験が終わると同時に忘れ、社会に出てからは「微積分は自分には関係ない」と思ってきた。しかし今日、物理・経済・工学・データサイエンスのあらゆる分野で微積分は使われています。「関係ない」と思ってきたものが世界の至るところで動いているという事実と、「覚えれば解ける」という記憶の間にある溝を、この本が埋めてくれました。
「変化の言語」としての関数——微積分は「変化を捉える」道具だった
遠山啓が下巻の出発点に置くのは「関数」という概念です。「xが変わればyが変わる」という関係——これを「変化の言語」と遠山は呼びます。温度が変われば体積が変わる、速度が変われば移動距離が変わる、価格が変われば需要が変わる——世界はすべて「何かが変われば何かが変わる」という関係で満ちている。関数とは、その変化を記述するための言語でした。
微分とは「ある瞬間の変化の速さを測る」道具です。車のスピードメーターが示す数値は、その瞬間の「位置の変化の速さ」、つまり微分です。積分とは「変化の積み重ねの総量を測る」道具で、その日の走行距離は「速さの積み重ね」として計算されます。17世紀にニュートンとライプニッツが微積分を発明したのは、天体の運動という「変化する量」を記述する必要があったからでした。「変化を記述する言語を人間が発明した」という事実を知ると、公式の背後にある必然性が見えてきます。本書の後半で展開される微分方程式の世界と、自然現象がどのように数式で記述されるかについては、ぜひ本書で確かめてみてください。
「使えない数学」が「世界を記述する言語」として見えた
この本を読んでから、ニュースで「感染者数の増加速度が鈍化」という言葉を聞くたびに、「それは微分の話だ」と思うようになりました。社会現象も自然現象も、「変化の速さ」と「変化の積み重ね」で記述できる——その見方が身につくと、世界の多くのことが数学の言葉で整理されているのが見えてきます。
「微積分を知らない大人」と「微積分の意味を知っている大人」では、世界の読み方が違います。公式を覚えていなくていい、計算できなくていい。「変化を捉える道具が人間によって発明された」という事実を知ることで、数学が「試験のための科目」から「世界を読む言語」に変わります。それが遠山啓がこの本で届けようとしたものでした。上巻(数の歴史)と対をなす本書は、「なぜ発明されたか」を起点に数学を語りなおす試みです。
数学教育に革命をもたらした教育者の集大成
遠山啓(1909〜1979年)は熊本県生まれ。東北大学数学科卒業後、東京工業大学教授として数学と数学教育の両方に取り組み、民間教育団体「数学教育協議会」を設立して「水道方式」を提唱しました。上巻とともに「現代社会に活動するすべての日本人に必要な数学の知識を、日常生活の論理に定着させる」という志を持って書かれた本書は、1962年前後の刊行以来、半世紀以上読み継がれています。
この本を読まなければ、微分積分を「覚えたが意味がわからないまま忘れた科目」として一生処理し続けていたはずです。「変化の言語」という視点は、世界の読み方を変えます。
遠山啓著『数学入門(下)』、購入はこちらから。